カナダ日系史「Gateway To Promise」翻訳チーム近況-9-

10月半ばに二年半ぶりの訪日をした。

 

いつものことながら、日本行きは目一杯の仕事を溜めて出かけるため、到着早々動き出し忙しい日程をこなすことになる。今回も例外ではなく、今のプロジェクトである「Gateway to Promise」の翻訳について、折りあるごとに宣伝し人々に知って頂く努力をした。

 

Japan

丁度私の日程が「海外日系人大会」の開催日に合わせることが出来たため、懐かしい人々との再会があったのは何よりだった。

中でも、昔トロントの日本国総領事館の領事であった田中克之氏にお会いできたのは嬉しかった。現在は公益財団法人 海外日系人協会の理事長になられてご活躍である。未だにカナダのことについて強い興味を示して下さっていることは嬉しいことだった。

 

Japan

この大会には毎年外務大臣が出席するのだが、今年は岸田外務大臣が来られ乾杯の音頭を採った。

 

Japan

大会には東京の観光が含まれるプランもあり、今年は築地市場の見学であった。

軒を並べる小さな屋台風の食べ物屋さんの活気ある雰囲気に圧倒された。

 

Japan

豊洲に移転する問題が暗礁に乗り上げ大きな問題になっているが、それでも連日訪れる人が後を絶たない。

 

Japan

東京のカナダ大使館に「Gateway to Promise」の本を寄贈すために表敬訪問し、翻訳プロジェクトについて説明をする。

日本語版(右)が少し出来上がっていることからそれも持参して紹介した。

 

Japan

横浜にある海外移住資料館の図書館にも「Gateway to Promise」を寄贈。

館内には日本人の海外移住の歴史を物語るいろいろなディスプレイ(主に南米)があり、カナダのセクションも設けられていた。

 

Japan

当時カナダで造られていたという鮭の缶詰

 

〜*〜*〜*

 

さて旅のもう一つのハイライトは、九州の最南端の町・枕崎市で開かれたトロント在住のソプラノ歌手柳田孝子さんのコンサートを聴きに行くことでもあった。もちろん地理的にここが日本の最南端ではないが、「JRが通る街」としては当市が日本の一番南に位置するという。

 

 

Japan

JRの駅に建つ灯台には「日本最南端の始発駅」と書かれている

 

JapanJapan

日本食の旨味の元になっているかつお節の生産は日本一。そのままでは輸出出来ないことからフランスに工場を出したことで知られる枕崎のかつお節。市の職員のジャンパーをご覧あれ!

 

Japan

23曲を歌い終えての柳田孝子さんと、伴奏をした鹿児島で活躍するピアニスト寺薗玲子さん。

三年前にもお二人の組み合わせのコンサートが開催され大変に評判だったことを受け二度目の公演となった。澄んだ歌声と軽快なピアノ伴奏で聴衆を魅了した一夜であった。

 

Japan

この公演を企画したのはトロント在住の移住者ハ―ワード園枝さん(↑)。彼女自身「薩摩おごじょ」で、強い信念と行動力で2回目のコンサートを成功させたのである。

 

JapanJapan

また枕崎市は、街中に「青空美術館」と呼ばれるアートストリートが幾筋もあり、100体ほどの彫刻がそこここに設置されている。「カツオ節」と「アート」このまれなる組み合わせの妙味がこの町に人を呼び込む一因になっているようだ。

 

〜*〜*〜

 

この後私は一行と別れ、「1877年に日本からカナダに最初に渡った人物」と言われている永野万蔵の生まれ故郷である長崎県の口之津という田舎町に足を向けた。鹿児島から新幹線で熊本へ行き、島原までフェリーに乗り、その後は一時間半もローカルバスに揺られての長旅であった。

 

Japan

口之津歴史民族資料館に飾られているカナダの国旗と万蔵関連のディスプレイ。

 

Japan

資料館には、カナダへの日本人移民第一号と言われる万蔵に関する資料が集められているが、彼が確かに「1877年」にカナダに渡ったかどうかという記録はカナダ側には残っていない。

 

Japan

万蔵の墓は故郷の太月山王峯寺にある

 

Japan

ここはまた昔キリシタンの多かった土地でもあり1500年の中頃には教会があったと伝えられている。これはその跡地。

 

〜*〜*〜

 

以下(↓)は、倉敷、高松、鎌倉、大船などの観光地巡りをした時に撮った楽しい思い出の写真である。日本を離れて暮らしていると、自然をうまく活かして造る「日本庭園の美」にことのほか目を奪われる。

 

Japan

倉敷の町中の日本庭園

 

Japan

鎌倉では、着物をレンタルし人力車でお寺や観光スポットを廻るツアーがはやっているとか。

 

Japan

鎌倉「お香」を売る店の前庭

 

Japan

鎌倉のお寺のうっそうとした竹林

 

Japan

鎌倉の遺跡を自主的に黙々と掃除するおじいさん

 

Japan

たおやかな顔をした大船(神奈川県)の観音さま

 

Japan

知覧の農家、今頃の季節には、秋の風物詩である柿の木に実が幾つか残っているのが散見され郷愁を誘う

 

さて忙しくも楽しい、そして有意義な訪日の後カナダに戻ったものの、まだ残りの翻訳本の仕上げという大きな仕事が待っている。クリスマスや年末年始の忙しさの中で、どのように仕事をこなして先に進もうかと頭を悩ませながら、徐々に日常生活の雑事に引き戻されている。

 

 

 

 

 

 

 

 


カナダ日系史「Gateway To Promise」翻訳チーム近況-8-

まず下の写真をご覧頂こう!

 

GTP

 

まだこれは仮の製本であるが、「Gatway To Promise」の『第三章 家族の物語(Private Space)』の翻訳本である。ここには全部で21の物語が紹介されているのだが、その内の「14」までを併せて仮製本を作ったのだ。

 

ここに来るまでには著者のスイッツアー夫妻と、更に、9月からもう一人コンピューターに滅法強い友人(AHさん)が加わって下さったため、4人で数回に渡り額を寄せあってpdfを作り仕上げたのである。

 

GTP

 

何事も後から分かれば「な〜んだ!そうよね!」と言うことになるのだが、、9月末に4人で第1回の会合を持つ直前に、著者夫妻が「日本語を入れ込む簡単な方法を見付けた!」と言うのである。

 

それまで私は、和訳した原稿のフォーマットをまず作り、そこに然るべき写真を入れ込んでいく作業をするものと思っていたのだ。

 

ところがである!!!

 

夫妻は「私たちが使った英語のフォーマットがすでにあるので、その英語の部分を空白にして和訳を入れ込めばいい!」と言うではないか!

 

「ああ、何故それに早くから気が付かなかったのか?!」と思ったが、これによって作業が飛躍的に縮小することになった。

 

と言うことで、粛々と作業を重ねた結果出来上がったのが写真の仮本である。

 

GTP

 

このブログを読んで下さっている読者の中で、もし文章に携わる仕事をしておられる方がいらっしゃれば、容易に理解して頂けるだろうが、文章と言うのは何度読み直して校正をしても、その都度気になる点が見付かるものである。

 

まだこれから何度校正作業を繰り返す必要があるか分からないが、とにかくプロジェクトがここまで進んだことを陰ながら応援して下さっている多くの方々ににご報告したい。

 

GTP

 

私は明後日訪日し、東京のカナダ大使館でプロジェクトについての報告をしたり、また日本からのカナダ移民の第一号(これには異論があるのだが)と言われる長崎県の「永野万蔵」の出身地、口之津という小さな田舎町を訪れる計画も立てている。

 

出版に向けての資金不足は変わらずにあるものの、いつものごとく「きっと何とかなるだろう・・・」と楽観視しながら歩みを進めている。

 

GTP

 

 

              〜*〜*〜*〜*〜*〜

 

                   GTP

 

                  10月初旬のブチャード・ガーデン

 

      GTP

       

                  下の8月の写真との違いが分かるだろうか

 

 

 

 

 


カナダ日系史「Gateway To Promise」翻訳チーム近況-7-

翻訳

変わらずに美しいブチャード・ガーデンの眺め(8月上旬)

 

何と今回は3か月のご無沙汰です。

 

この間にも当サイトをご覧頂いている方が多く、嬉しいことです。ただ「まだアップデイトされていない!」と思った方も多いかと思います。

とにかく夏は、公私に渡る行事が多く、落ち着いて仕事をする雰囲気に自分を押し込めるのが容易ではありませんでした。

 

と言っている内に9月を迎え、ここビクトリアではすでに「秋風」を感じるようになりました。まだ夏が終わったばかりなのに・・・と少々寂しい気がします。でも、過ぎ行く季節の名残りを惜しむ気持ちが私は嫌いではありません。

 

さて、言い訳にはなりますが、この時期の翻訳関係の仕事は遅々として進まなかったと告白しましょう。

前にも書きましたが、この400頁の英語本は三部にわかれています。最後のSection3は、移民した家族の個々の物語なのです。

 

私は、結局こうした生身の人間の息吹を感じられる、あるいは想像出来るヵ所に一番興味をそそられます。それ故に、この部分から校正を始めました。

 

そして9月初旬の今、この部分の校正は90%終わっています。終了次第、訳者間で共有するGoogle Docに載せて「final」とし、自由に閲覧出来るようになっています。

 

生きた人間の生きた証の物語は、何時の時代のものでも、またどんな話でも興味深いもので私は好きなのです。特に日本から移民としてこの未知の世界に足を踏み入れ、ゼロからのスタートをし、白人社会で偏見や差別と闘いながらも生きた先駆者たちの物語は、時には涙なしには読めません。

 

校正の合間にファシリテーターとして行たことは、日系関係の組織が出す助成金の申請と、それを頂いた後に書くお礼を兼ねた原稿書き、関係者への顔つなぎ等など、ソーシャルな繋がりも無視できないのです。今後どのような関係に発展するか分かりませんので丁寧な応対をする必要があります。

 

今までに助成金を頂いた団体は、当地の日系グループ VNCS(Victoria Nikkei Cultural Society)、カナダの日系人の全国組織 NAJC(National Association Japanese Canadian)、そして当地の日本からの戦後移住者たちの集まり VJFS(Victoria Japanese Friendship Society)の三か所で、合計2500ドルになります。

 

すでに訳者への本代と郵送料、一回目の会合の交通費、その他の必要経費に使った以外は、印刷代に廻ることになります。もちろん邦訳本がどの程度のページ数になるかによるのですが、最低100冊は刷りたいと切望しています。

 

今後も更なる寄付を仰いで、一冊でも多く出版したいと願っています。

 

翻訳

夏でなければ見られない花(8月上旬 ブチャード・ガーデンにて)

 

以下は助成金を頂いた組織へのお礼の原稿が載ったメルマガのアドレスです。

お時間のある時にお読み頂ければと思います。

 

* VNCSの7,8月号のニュースレター 

https://gallery.mailchimp.com/0fcb7e2b9134bc0c251f1f1a8/files/

July_August_2016_Newsletter_FINAL.pdf

 

* VJFS発行の さくら通信 第220号 (2016年8月31日発行)← このニュースレターは一般公開されていないため、登録しなければ購読は出来ないとのことです。

 

 

 

 

 

 

 


日系カナダ史「Gateway To Promise」翻訳チーム近況-6-

何と2か月半のご無沙汰です。

この間、ビクトリアは梅の花から始まって、桜、レンギョウ、モクレン、水仙、藤、シャクヤク、テッセン、など等が咲き乱れ、今はフィロデンドリウウムが満開です。

このブログには近況と共に、盛りだくさんのビクトリアの花々の写真を掲載しましょう。


all around me

ローヤリティのあるブログの読者からは「翻訳プロジェクトまだ続いているのですか?」という問い合わせを頂くことが何回かあったのですが、答えは「はい、勿論です!」。

徐々にではありますが、「確実に進んでいます!」と申し上げられます。


all around me

とにかく、私の絶対時間と忍耐不足でブログを頻繁に更新できないことをお詫びしたいと思います。



さて、それではこのプロジェクト今どんな状況にあるかと言えば、大体半分程が翻訳済みとなっています。

何しろ英語の原本「GatewaytoPromise」はフォントの大きさが#7,8くらいで400ページにもなる本で3章に分かれています。閉じると3センチにもなり、パラパラと見ただけでも大変な情報が詰まっていることが容易に理解出来ます。

それを16人の翻訳者(開始時から一人増えました)が分担して受け持っています。

第1章、第2章は、日本人が初めてビクトリアに到着して以来の歴史に焦点が当てられており、第3章は、当地出身の家族の末裔(まつえい)の方々をインタビューし、それぞれのファミリー・ストーリーが披露されているのです。


all around me

読み込むほどに興味が尽きない日系史なのですが、では翻訳者たちがどのように仕事を進めてくれているかを書きましょう。

分担は総勢16人が2人一組のチームを組んでおり、1章と2章の担当ページの翻訳を受け持ってくれています。そしてこの2人組みが自分たちの担当のページを更に2分して翻訳をした後に、お互いに相手の翻訳をチェックするという方法を取っています。

これによって独りよがりの翻訳の難が避けられるわけですが、続く第3章は21家族+余禄の物語を、訳者一人が1〜2家族の割合で担当してくれています。


all around me

実をいうと、約140年前から始まったカナダの日系史を知るのは当然ながら大切ですが、第3章の個々の家族の物語は、当時ここに住んだ人々の生活が垣間見え興味が尽きません。

all around me

また訳者の一人(日下部健一さん)が立ち上げてくれ、16人全員が共有できる「スタイルブック」も大いに役立っています。つまり訳者が感じる同じような疑問を、単語のカテゴリー別に一覧表に載せることで他の訳者が共有できるシステムです。

もう一つ素敵なことは、同じように訳者のみが共有できるサイト「GoogleDoc」の活用です。

これはやはり訳者の一人である高井マクレーン若菜さんのアイディアで設立されたのですが、翻訳済みの原稿がそれぞれ私に送られて来た後に、今度はもう一人の訳者・渡部句美子さんの管理のもとに、このサイトに原稿が掲載されるシステムです。

これによって他の訳者の仕事振りが見られて参考になるわけです。


all around me

訳者たちからは:

「いかに臨場感、躍動感、謎解きのワクワク感を出せるか、著者の真実、事実を追究する妥協しない真摯な姿勢や歴史学的視点、時代が指し示すチカラ、また所詮、神や仏ではない人間への温かい視線を醸し出すべく気を使ったつもりです」

「今までカナダの日系人の来し方は気になりながらも、それをゆっくりと勉強する暇がなかったのですが、このプロジェクトに参加したことで非常に興味をそそられました。自分が担当したのは一部ですが、完訳の折りに通して読むのがとても楽しみです」

皆さんがそれぞれの立場で、それぞれの思いを持って頑張って下さっているのが読み取れて心底嬉しくなります。




それにしても、16人の方々との電話やメールのやり取りを通して感じるのは、この方たちの知的レベルの高さです。自分の持つ知恵と能力を最大限に活用して、黙々と仕事をこなして下さるひたむきさにはただただ頭が下がります。

これからは16人のそれぞれの翻訳文に私が目を通してライティングスタイルを読み易い柔軟な文章にまとめ、更なる校正をすることになります。
今年の私の夏は「校正の夏」になるでしょうが、思い出深いひと夏になることは間違いないと思います。

では、次にまた翻訳状況の最新ニュースをお知らせするのを楽しみに(!?)待って下さい。


all around me






 


日系カナダ史「Gateway To Promise」翻訳チーム近況-5-

以下はビクトリア市にある日系人の集まり、ビクトリア日系文化協会(Victoria Nikkei Cultural Society-通称VKCS)の、3,4月号のニュースレターに「Gateway to Promise」の翻訳状況を書いたものです。

すでに協会からは、このプロジェクトのために15人分の原本代として1$525.00をに頂きました。「資金0」からの出発は、心もとないながら、動き出さなければ「山を動かすこと」は出来ないと行動を開始したのです。


この原稿は以下(↓)のニュース・レターの8ページ目に載っています。
私の原稿ばかりではなく、VNCSのニュースレターにご興味のある方は、以下をクリックしてください。


https://gallery.mailchimp.com/0fcb7e2b9134bc0c251f1f1a8/files/VNCS_March_April_
newsletter_2016_hi_res_Final.pdf



Translation has started! - Nikkei History Book “Gateway to Promise”
                                                                                 
  by Keiko Miyamatsu Saunders



Last summer when I first heard about “Gateway to Promise” I thought without any doubt that the author was Japanese or Nikkei.

However, when I had a chance to meet the authors, they were a Caucasian couple: Ann-Lee and Gordon Switzer. When I met them I was puzzled. Why was this couple interested in writing about Japanese Canadian history?

As I came to know their background I understood. Gordon spent most of his early years, from age 3 through 20, in Japan. Ann-Lee grew up in cosmopolitan New York City and has been fascinated with things Japanese ever since her childhood.

As I am a Japanese journalist and originally from Japan, I am always interested in details about the Nikkei legacy in Canada.

While living in Toronto I had been to numerous seminars, lectures and exhibitions related to Nikkei people. I have also read quite a few Japanese Canadian history books.

I was so excited when, after moving here two years ago, I found an abundance of information tracing the legacy, and the trail of Nikkei history. The information in Toronto pales in comparison to the experiences Victoria has to offer.

One example occurred when my husband and I joined a two-day Obon tour (ohaka-mairi) last summer with Rev. Grand Ikuta from Steveston. I was shocked when I saw West Coast Japanese history right in front my eyes!

We visited cemeteries in Nanaimo, Cumberland, Port Alberni, Chemainus, Duncan, and Ross Bay. This was an eye-opening and fascinating series of experiences.

Since that trip I began to think seriously about translating the Switzers’ book into Japanese. There isn’t much information on this subject in Japanese.

How could Japanese people who can’t read English understand this important information? I placed “Wanted Translators” ads in Japanese media in Victoria, Vancouver, and Toronto.

More than twenty people generously responded and I selected fifteen of them from five locations: Toronto, Vancouver, Victoria, Denman Island, and Manila in the Philippines.

Each of the translators showed great enthusiasm towards translating this book. The only problem is finding the money to pursue our project. We were fortunate in receiving a grant in February from VNCS.

It was right before the Switzers, the translators and I had our first meeting at my home. The VNCS grant looked after the cost of the original books provided to the translators.

At the first meeting, we talked a lot about how we would proceed with the translation. Needless to say it is not easy to integrate 15 people. However everyone reiterated their enthusiasm for the project. They told me that they had always wanted to know more about Japanese Canadian history and are happy and excited to be involved in this project.

They also indicated how important a translation of this book into Japanese is in order to introduce Japanese readers to a better understanding of Japanese Canadian history. Yes, we have started the translation!

Next year will be the 140th commemorative year since the first Japanese pioneer came to Canada. We would love to publish the book in time to celebrate that event!

However we still need more funds to print the translated book. I am in the process of applying for a grant from NAJC. T
he VNCS gave us a very supportive reference letter. Again, I deeply appreciate the thoughtful cooperation of the VNCS, especially their understanding and kind spirit of their support for our project.


ビクトリアは別名「ガーデン・シティ」と呼ばれるほどきれいな町です。でも一方では大都市の何処にでも見られるホームレスの問題も抱えています。

2月末より始まる桜の開花は、それは見事!
まさに写真の通りで、町中のそこここで見られます。

しかしこの桜には、70数年前にここに住んでいて日本からの移住者たちの涙ながらの物語があるのです。
どんな歴史を秘めているか・・・、どうぞ翻訳が終わった後に日本語版をお読みになって下さい。

英語版が宜しい方はamazonから取り寄せられます。











 


カナダ日系史「Gateway To Promise」翻訳チーム近況-4-


トロントの物書き仲間で発行している年4回の文集「華やぎ 冬号」
今回は取り組み始めた翻訳の大プロジェクトについて書いた




仲間の1人で絵の上手な人が表紙を担当

心意気が力になって・・・


「あ〜、またやっちゃったっ〜!」「変わらずに身のほど知らずのオッチョコチョイ!」と言った声が頭の中を交差し、せめぎあっている。

と同時に、“You may say I’m a dreamer, but not the only one” ”It always seems impossible until it’s done”など、今までに何度も力を与えられた言葉に今回も後押しされている。言わずと知れたJohn Lennon Nelson Mandelaの言葉である。

私の周りで、すでに“この事”について知って下さる方は多いのだが、これはビクトリアに住むあるカナダ人夫妻の書いた日系史『Gateway To Promise』という本を、日本人翻訳者を募って和訳し、世に送り出そうという膨大なプロジェクトの話である

ちびっちゃ〜いフォントで書かれた、400頁にもなる大判の分厚い本。この構想を頭の中で考え始めたのは、昨年の夏に著者であるスウィッツア夫妻(Ann-LeeGordon Switzer)に出会った直後のことであった。

いつものようにある日ポツンとアイディアが浮かび、それを徐々に膨らませ、そしてある時パ〜ン!と弾けるように行動に移す・・・。今回で4度目になる。

遅々とした歩みながら、今そのプロジェクトが一歩一歩軌道に乗り始めているのだ。嬉しいと言えばこよなく嬉しいのだが、自身の体力や気力が、年前の67歳で書き上げた『日本人の国際結婚〜カナダからの報告〜』の時と比べ大変に違うことを嫌が上にも実感させられている。

あの時は徹夜して物を書き、翌日は身だしなみをちゃんと整えて日本語教師としてほぼ週5日間トロントのダウンタウンに出かけていた。その当時と一つ同じなのは、そのために今も「やることが山のようにある日々」であるが、もう徹夜はとても無理。たった数年前のことなのに・・・。
 
私は外見に似合わずひどく神経質で、「岸惠子に勝るとも劣らぬ不眠症」(笑)。体はトコトン疲れているのに少しでも気になることがあると、ベットに入っても長いことtossing & turning aroundなんてことが珍しくない。
眠れなかった翌日の辛いこと!


さて今回のプロジェクトは一年を掛ける予定で、来年の日本人移住140周年を記念して出版を実現したいと計画している。今まで私が書いた本と今回との共通点は、処女作であった『カナダ生き生き老い暮らし』を除き、一般受けしないとても狭い読者を対象にしていることである。

「こういう本を読みたかった!」と言ってくれる人にはこよなく役立つのだが、バカ売れするなんてことは、自慢じゃないが、天地がひっくり返ってもありえない。

とは言え、この内容はすでに出版されている日本人移民史、例えば新保満氏の「石をもて追わるるごとく」、工藤美代子氏の何冊かの写真婚関連の話、ジョイ・コガワ氏の日系人の排斥に絡む物語などのどれとも一線を画しており、初期の日本人移民がまず踏んだ西海岸に焦点を当てているのが興味深いのだ。

英語の原本に加え日本語訳本があれば、“後世に残るカナダの日系史を語る一冊“になることだけは確かだと自負している。

集まって下さった翻訳者15人の中には、それを生業(なりわい)にしている専門家もいる。もし仕事として請け負えば翻訳代は必ずや入るものを「最悪の場合は”labor of Love”ですが・・・」の呼びかけに「それでもいい」と言って下さるのだ。
今の私には彼らのその心意気が何よりの力になっている。


27日には拙宅に著者夫妻を招き、翻訳者たちとの初会合を開いた。華やぎメンバーのKA.美智子さん、訪日中やスケジュールが合わなかった方2人、加えてトロントから日本、そして今はマニラの国際交流基金に赴任中の石田氏の4人以外は、この会合のためはるばる本土のバンクバーからこの島に来て下さった。

大鍋にまるで学校給食のごとく大量のカレーを作り、またトロントで知り合った二世のトシさん仕込みのレモンパイのデザートを焼いての会食。慌しかったが、充実したミーティングで成果は大だったと思う。

当地の日系人クラブ(Victoria Nikkei Cultural Society)からのgrantが翻訳者たちの原本購入代に廻せたのは嬉しいし、後はNAJCNational Association of Japanese Canadian)のgrantをねらっており、本の印刷代を賄ないたいと切望している。

また上記のコダマ・トシさんは、西海岸で暮らしたご自分の過ぎ越し方の歴史と絡み合うこともあり、このプロジェクトに感動し寄付まで送って下さり、支岐翠さんからの志も受けている。

今の私には病気になる贅沢が許されない。何とかしてこの一年体力を持たせなければならないと必死で、週2回づつのヨガ、タイチ、早足の散歩に力を注いでいる。




今ビクトリアは早春の花の真っ盛り


ピンクの椿の後ろには赤の椿も見える





 


カナダ日系史「Gateway To Promise」翻訳チーム近況 −3−



「Gateway To Pomise」翻訳チームの面々

2月に入って間もなくの日曜日、チームの翻訳者たちと著者のAnn-Lee, Gordon Switzer夫妻を招いて、拙宅で初顔合わせの会合を開いた。

トロントから参加して下さっているKAMさん、去年の秋までトロントの某機関に勤務されていたものの、東京に戻られてすぐにフィリピンのマニラに赴任されているTK氏、訪日中のKWさん、当日のご都合が付かなかったMHさんの4人は残念ながらご一緒出来なかった。

だがバンクーバー方面から5人、当地近辺のから4人、ジョージア海峡に浮かぶ島Denman Islandから1人の総勢10人が上の写真のように勢ぞろいしたのである。

この週末は、月曜日がFamilyDayという国の祝日であったことに加え、中国人のお正月、春節の開始日にあったため、本土のバンクバー方面からお越しの方が、予定のフェリーに乗れるかどうかかなり心配した。
だが、問題なく無事にこれだけの人数が集まれたことは嬉しい限りであった。

とは言え、今度は帰りのフェリーの時間もあり、時間的制約のある中の慌しいミーティングはかなり忙しかったが、返って集中しての話し合いが出来た。

加えて、そのミーティングの前には、拙宅から3ブロックほどの所にあるRossBayCemeteryに出かけ、初期の日本人の移民たち150余体が眠る墓地を散策し、著者のSwitzer夫妻からその歴史を聞くことが出来た。



昨年8月のお盆の時の飾り付け

再度拙宅に戻ってからは、小さなフォントで書かれた大判400ページの英語の原本を、どのようにページ分担するかを話し合ったのだが、ほとんど平等に問題なく仕分けしたのである。

もちろんページの真ん中で切ることは出来ないため、1人分が多少多い人も中には出てしまったのが心苦しかった。
だが、誰もがそれを理解し文句を言う方もなくスムーズに運んだのである。


GTP
英語原本の表紙

話し合いの途中で私は何度も一同の顔を見渡たしたのだが、皆さんとても真剣で、協力してこの仕事を仕上げようとする前向きな熱意に溢れており、何とも素敵な「知的集団」であることが確認され本当に嬉しかった。

しかし一番肝心な題名「Gateway To Promise」の日本語訳を何にするかを決める時間がなかった。
後からメールで相談することは出来るので心配ないが、今のところ:

〔鸞の地への門出 ”19世紀末〜20世紀半ばの日本人のカナダ移民史”
希望へのゲート  ”同上”

などの案が浮上しているが、これについてはもっと翻訳者たちとの意見の交換が必要のようだ。


〜*〜*〜

嬉しいニュース!

トロントに住んでいた頃に親しくさせて頂いたある日系二世の女性は、原本を買って下さり、加えてこのプロジェクトに果敢に取り組む私たちチームの思いに”感動した”とのノートを添えて小切手を送って下さった。


GTP
添えられていた手紙

80歳を越えるこの女性には、西海岸で幼少時代を過ごし強制収容所に送られた経験がある。
私は親しかった割には、子供の頃のその悪夢のような体験について、彼女の口から直接聞いたことはない。

封印してしまいたい思い出なのかもしれないと、あえて話を聞くことを私は避けたのであるが、今となってみるとそれが悔やまれる。





 

カナダ日系史「Gateway To Promise」翻訳チーム近況-2-

ビクトリアのお正月会

昨日は、ビクトリアにあるVictoriaNikkeiCulturalSociety(VNCS)が中心になり、当地の後2つの日系グループとの協賛で「お正月会」が催された。総勢350人ほどが集まり賑やかな新年会であった。

VNCSs NY Party
申年にちなんで天井からつり下げた猿のハリボテ

カナダでは、お正月と言っても1月1日だけが休日で、日本のように年が改まってもそれにまつわる特別な行事などはない。
せいぜい親しい友人同士が「今年の抱負は?」などと聞きあう程度で、何年ここに住んでも日本人にとっては何か寂しい気がする。

そんな中、日本からの移住者や日系カナダ人、又は日本や日本人に関係のあるカナダ人などが多少なりとも住む地域では、「お正月会」と称してそれなりに祝う所もある。

ビクトリアの場合は、いつも一月末の今頃に一品持ち寄ってのイベントが開催される。

VNCSs NY Party
きれいに並んだ持ち寄りのお料理。これはごく一部で時間が経つごとにどんどん追加されていく

以前住んでいたトロントの「お正月会」に比べれば、まことに小規模ではあるが、皆が力を出し合ってイベントを盛り上げようとする気概は十分に感じられる。

加えて、バンクバーの日本国総領事館からは、毎年決まって総領事が参列され関係者には大きな励みになっている。

VNCSs NY Party
挨拶をされる岡田誠司バンクバー総領事

また手作りのイベントの催し物の中には、「餅つき」や、日本語学校の生徒たちの威勢のいい「ソーラン節」、また当地の盆踊りのグループ、太鼓グループのショウもある。

VNCSs NY Party
岡田バンクバー総領事の餅つき
後方の赤いシャツがVNCSの会長Michael Abe氏


VNCSs NY Party
ついたお餅はキッチンでまとめ数々の餅料理に利用される

VNCSs NY Party
一生懸命踊る日本語学校の生徒によるソーラン節

VNCSs NY Party
盆踊りグループのお披露目

VNCSs NY Party
太鼓グループも賑やかに年の始めの太鼓打ちに精を出す

最後には各方面から寄付された品々のオークションもあり、4時間ほどの『新年会」はお開きになった。

VNCSs NY Party
オークションのために集められた品々

〜*〜*〜

ちなみに、この会の中心的役割をしているVNCSから、今回私が立ち上げた「Gateway To Promise」の翻訳グループ14人に、原本代として$525.00のグラントが下りた。

グラント申請などは私にとって初めての経験であったため、どのようにアプローチすべきか知恵を絞ったが、おかげで予定していた金額をはるかに上回る額が下りたことは喜びに耐えない。

VNCSの会長からからは以下の返事が送られてきた。

Hi Keiko,
 
The VNCS board thanks you for the submission of your grant application and for your initiative to undertake this project. It was very informative and everyone could easily understand the project. There was unanimous support for two motions. One to support you with your request for $525 and also to provide a support letter for your application for an NAJC SEAD grant.
Please note that we also felt that this was a continuation of the Gateway to Promise book which was an extension of the Kakehashi project and helps further the story of the history of the Japanese Canadians in Victoria. With this in mind, your project will be considered outside of the policies of our regular grant program and therefore is not limited to $350 and is not a one-time grant. 

〜後略〜

「考えてばかりいたのでは『山は動かせない』」と、いつもと同じに「資金0」で始めたプロジェクトだが、今回は14人の優秀な翻訳者を抱えての出発。

今後のことを考えると眠れぬ夜も幾夜かあったが、少なくとも原本代だけは確保できたことでホッとし、背中をグイッと押された気がする。

GTP






 

カナダ日系史「Gateway To Promise」翻訳チーム立ち上げ-1-

        カナダの土を踏んだ第一号は誰? 
          〜カナダ日系史に新たな側面?〜


GTP
以下の記事が載ったトロントの日系誌「TORJA」

トロントからBC州の州都ヴィクトリア市に国内移住して、早や一年余り
が過ぎた。
40余年過ごした古巣を立つにはそれなりの決心が必要だった
ものの、新たな場所での新たな出発は新鮮であることに間違いはない。


GTP
夏のヴィクトリア市内は何処も花であふれている

送別のとき耳ダコが出来るほど言われた「トロントほどエキサイティング
な町ではない」との危惧も、角度さえ変えて見れば「人の住む所必ず興味
尽きないニュースあり」を実感する。


その一つは日系カナダ人の歴史である。

トロントにいた時から、仕事絡みや個人的な興味も伴って、関連の勉強会、
講演会、展覧会などには欠かさず出席していた。しかし正直言って、その
史実を身近に感じるという体験はなく、親しくしていた数少ない二世の方
たちから僅かに昔話を聞く程度のことであった。


だが西海岸に来てからは、ひとっ飛びに戦前の日系人たちの過ぎ越し方に
思いを馳せる機会が多くなった。


まず驚いたのは、移り住んだコンドミニアムから3ブロックほどの所に、
Ross Bayと呼ばれるヴィクトリアで一番古い墓地があり、そこに150余人
の日系人のお墓が存在することであった。


その墓地の一角には、御影石の碑が建っており、正面には“日系カナダ人
合同慰霊碑、懸橋」と日本語で、また裏側には「
In Honour and Memory
of Pioneers from Japan」と英語で書かれている。

戦前から今に至る日系人が、勇気を持って苦難を乗り越えカナダ社会で
生き抜いて来たことを称えその証を残すために、99年8月に関係者の尽力に
よってモニュメントの建立を果たしたのである。


GTP
毎年お盆の時期には日系人が集まり弔いをする


れは私にとって日系カナダ人を非常に身近に感じたヴィクトリアでの
「目で見る日系史初体験」であった。


日が経つにつれ更なる歴史を知るに従い、ヴァンクーヴァー・アイランド
(以後
VI)の多くの場所に、戦前の移住者がコミュニティーを作り、家庭
を築き、そして亡くなっていった痕跡を見ることが出来ることにも驚いた。


今夏はその中の6ヶ所ほどの墓地を、本土Stevestonの仏教会からいらした
開教使と共にお盆の前に墓参りをした。


GTP
ヴァンクーヴァー島の中ほどにあるCumberland市の日系人の墓

「当地にはこれ程凝縮した日系人の歴史があるのか!」と関心が尽きなかっ
たが、その前後に
VIに集約しての日系史をまとめたある親日家のカナダ人
夫妻の知己を得た。


今まで日系史と言えば日本人か日系23世が書いたものがほとんどであった。

翻訳広告
日系カナダ人の書いた日系史の一冊

翻訳広告
日本人の書いた日系史もあるがすでに40年(1975年)も前に発行されている
(著者の新保 満氏は2015年春にお亡くなりになりました)


翻訳広告
1977年に日系百年祭を祝った際の日・英・仏で書かれ記念誌

ところがこの白人夫妻は自分たちの足で歩いて調査し、それをまとめた
Gateway to Promise 」(2013年)と「Sakura in stone」(2015年)
と言う本を上梓したことを知ったのだ。


GTP
Ann-Lee/Gordon Switzer 著(2013発表と裏の表紙
翻訳広告
400頁にもなる分厚い著書である


下の本はその中からさわりを100頁ほどにまとめた本である(2015年9月発行)
翻訳広告
表紙の裏と表
翻訳広告



読み進むほどに興味深いのだが、そのさわりとはカナダの日系社会で信じられ
ている「永野万蔵パイオニア説」に果敢に挑み、自分たちの考える「第一号」
を選出すると同時に、今までにはなかった「ヴィクトリアとその周辺の日系人
の歴史」に焦点を当てているのである。


周知の人も多いが、永野万蔵に関しては1977年に日本人移民100年祭を祝った
際に「パイオニア」と決められ、以来、史実として定着し、連邦政府地名委員会
はロッキー山脈のオウェキノ湖(
Owikeno Lake)近くの山をマンゾウ・ナガノ
山(
Mount Manzo Nagano)と定めた。

だが当初からこの説には疑問視する声があった。

理由は、実際に
1877年に彼がカナダに到着したという「確固たる資料」はなく
証拠が不十分な上、人生の後半には日本に戻り出身地の長崎県口之津村で没して
いるからだ。


ヒストリアンの夫妻はこの点に焦点をあて、記録がしっかりと残り、当地で事業
を起こしヴァンクーヴァーで没し、そこに墓地もあるもっと相応しい人物を割り出
したのである。


これが歴史の面白さだと思うが、過去に起こったことはそれを立証する不動の
証拠がない限り、後人がどんな立場から史実を振り返るかによって歴史の解釈は
変わってしまうものだ。


万蔵が第一号と決まってから来年(2017)で40年になり「今更なにを?!」と
思う向きもあるだろうが、私はこの新説に大いに興味をそそられた。


そこでこの新たな説を含め、VIの日系史を書いた「Gateway〜」を日本語読者の
ために翻訳したいと考えたのである。
しかし孤軍奮闘では余りにも時間を要する。

「では・・・」と考えた末、
10余人を集め「翻訳チーム」を立ち上げ、分業で挑
もうと決心したのである。

すでに日本、ヴィクトリア、ヴァンクーヴァー、トロントの各地から12月末までに
予定数を上回る翻訳希望者が名乗りを上げてくれた。

2016年の新春を迎え、さあ、彼らと共に新たなプロジェクトに挑みたいと、元旦
の日の出を眺めながら深い深呼吸をしている。


GTP
2016年元旦の初日の出

今後の進行具合は、このブログに随時載せたいと思う。
温かいご支援を!!!





 

エミリー・カーの波乱万丈人生 (5)

    

自然あふれるカナダ西海岸が生んだ鬼才の画家/作家
EMILY CARR 18711213日〜194532日)

ニューヨーク訪問後も絵の創作、晩年は本の執筆に励む
 
EC face
晩年のエミリー・カー,  19341月  (City of Victoria Archives, PR73-4962 M00666)
 
episode 5
 http://www.e-nikka.ca/img_base/10pic.gif生家でエミリーに扮しモノローグをする語り部の Karen Lenz さん
                   (2015年のシーズンは都合により中止)

episode 5
動物好きだったエミリーにふさわしく、生家には19歳になる猫のミスティが飼われている 

そんな折、ローレン・ハリスはエミリーに、東部にいる間にニューヨークに出かけることを勧め、行くに値する町だと強く彼女を推した。

それに対し、最初のうちエミリーは「人間をぎっしりと詰め込んだ大きな町が嫌いなの!」と返事をしている。それでもニューヨークの魅力をしきりに説くハリスは「なぜ?ただ国境線を越えるだけのことだよ」とも言った。 

ロンドンやパリには臆することなく意気揚々と出かけたにもかかわらず、ニューヨークに嫌悪を感じるのは、その欧州での体験ゆえで、「大都会は避ける」という教訓を学んだからだろうとエミリーは思った。

だが今度は、「ほんの短い旅で、一生懸命そこで仕事をするために行くのではない」と自分に言い聞かせた。
そして「見ることが良しとされるそのチャンスを逃さずに実行することを人生のポリシーにして来たはずではなかったのか」と自問し、とうとう大都会ニューヨーク行きを決心する。 

ハリスはエミリーの希望通り、最も現代的な美術を鑑賞することが出来る美術館のリストを作ってくれた。
またニューヨークのモダンアート界を率いる協会の会長に紹介状を書いてもくれたが、この女性の住居を訪ねるまでのいきさつは、後にエミリーが残した著作「Growing Pain」の中に詳しく書かれている。 

そこには、彼女の目を通して見る町の様子や、人間模様が実に生き生きと興味深く書かれており、当時からニューヨークはいろいろな意味で特別の町だったことが分かる。
そしてこの会長との出会いは、エミリーがその後、長い間暖かい気持ちで思い出す出来事の一つになった。 

特に興味深いのはその時の会長との会話である。

エミリーがニューヨークの某画廊を訪ねたとき、ジョージア・オキーフに出会ったことが話題に上った。
ジョージア・オキーフ(1887-1986)は20世紀を代表するアメリカの女性画家で、花や動物の骨など自然界のフォルムを大胆な構図と色彩で抽象化した作品で知られる。

エミリーは会長に「作品の幾つかは美しいと思うけど、彼女が自分の作品について話す時、幸せそうには見えなかった」と率直な思いを伝えている。 

この時のジョージアとの出会いは、エミリーにとっては記憶に残る出来事だったが、ジョージアはどの記録の中にもこのことに触れたものはないという。


評価によっては、現代女性画家の中でエミリーはオキーフに匹敵するともいわれる。 

先住民の教会
エミリーの多くの作品の中でもひときわ有名なものに「先住民の教会」というのがある。

これは、「イースタン展覧会」への出展の誘いを受けたために、搬入に間に合わせようと急ぎ描いた作品であった。景色は西部にあるフレンドリー・コブの先住民の村の海岸に近い灯台からのもので、完成後すぐに送ったのだ。 

episode 4,5
「先住民の教会」(1929年作) AGO所蔵-Bequest of Charles S. Band)

ところが展覧会終了後には、これに3人の買い手が付いたと言う。
 
最終的に誰の手元に渡ったかといえば、グループ・オブ・セブンのローレン・ハリスだと知らされた時には、驚くと共に嬉しさが込み上げとても誇らしく思ったようである。
 
そして数カ月後、エミリーはグループの展覧会のために東部に行った折、ハリス宅でのパーティーに招かれてみると、その作品が美しい額におさまりダイニングルームに飾られていたのだ。


集まった人々は惜しみない賛美の言葉をかけてくれたが、それはトロントに来る2週間ほど前にビクトリアで開催されたある展覧会に、エミリーが作品2点を出展したときの苦い思い出とは余りにも対照的であった。 

その時は、姉たちが展覧会に伴い関連の親睦会を開いてくれたのだが、来場者の誰もエミリーの作品のことは話題にせず、その絵の前でさっと向きを変えて向こうへ行ってしまった。 

しかし驚くことに、一緒にいた姉の一人が絵の前で「私、好きよ・・・」と言ったのだ。
一番気の合わない姉で、今まで一度もエミリーの絵をそんなふうに評価したことがなかったため、彼女は息も止まるほど驚いた。
だが姉はこともなげに一言「額のことよ」と付け加えた。
東部ではこれほどまでに高く評価されるにもかかわらず、故郷の西部では変わらずに彼女の作品に価値を見いだせない人々がほとんどだったのは、何とも痛ましい。 

ハリスは、入手したエミリーの「先住民の教会」について何度も手紙をくれた。
合衆国の展覧会に出した時の高い評価についても送ってくれたのだが、その中で「あなたの絵が一番良かった。でもこれ以上いい作品をもうあなたは描けるとは思いません」とエミリーの能力に限界があるかのごとくに受け取られる手紙を書き送って来た。 

エミリーは激怒し、「私を限定して見ている、もうあの絵についてこれ以上聞きたくない」とその思いをハリスにぶつけた。しかしハリスは「個人の限界を言っているのではない」とし、彼独特の芸術論を展開した。 

こんな経過があっても、二人はその後も思いをぶつけ合い、本音を語り、自由に話す手紙のやり取りを途切れることなく続けたのだ。

そして彼の作品が具象から抽象に変わりつつある過程をエミリーに知らせ、「抽象画は具象画には閉ざされている無限の幅を可能にし、経験の分野が増し、それを大きくする」と、抽象画に関する持論を長々と書き送っている。 

加えてエミリーの絵に対しても「抽象に近いことをして来たではないか」と言い、一歩進んでさらに「絵の本質を抽象化する」ことを勧めている。
 
だが彼女は、自分ではまだ「抽象に対し準備がない」と思っていたようであるが、ハリスの抽象画に対しては「静かで深い誠実さに気付くと同様に、真実にも気がつく」と記している。 

episode 4,5
Abstract Tree Form」(1932年) AGV所蔵 42.3.54. Courtesy VAG)

終焉(しゅうえん)
1933年には、彼女が「エレファント」と命名したキャンピングカーを購入しスケッチ旅行をし、秋にはシカゴでの世界博覧会を訪ね、トロントへの最後の旅にも出ている。

その後の数年はキャンプをしながらスケッチ旅行を試み、習作に励んでいるが、1936年には「Hill House」と呼んだボーディングハウスを貸家にして近所の家に引っ越した。 

この時期の世界的な動きは、スペインの内戦がぼっ発し、イタリアのムッソリーニとドイツのヒトラーが手を結ぶなどして、欧州に緊張が走っていた。
 
またユダヤ人への迫害が増えていることを知り、「戦雲が低くたちこめ、あらゆるものの上にのしかかっている」とエミリーは記している。


この年、三女の姉 Elizabeth が亡くなった。 

episode 4,5
エミリー愛用のキャンピングカー(1934年)  エミリーは「Elephant-鼻の長い象に例えて」と呼んでいた  BC Archives and Records Service : Catalogue #04204 
 

episode 4,5
Above the Cravel Pit1937  (VAG所蔵  Emily Carr Trust)

年代記によれば、エミリーは1937年(65歳)と1939年3月(67歳)に大きな心臓発作を起している。

残念なことに、一回目の発作以降、健康の衰えが始まり、描画より文筆の仕事に比重を置くようになっていった。
入院中にはイギリス人の作家・美術評論家のエリック・ニュートンが見舞い、「ハイウエーを運転しながら、森の中でどっちを向いてもエミリー・カーの絵がそこにあった」と言い、「あなたは西部の精神をつかんでいる」と評した。 

そしてエミリーの手を自分の手に重ねながら「この手は怠けているには余りにも才気があり過ぎる」と励ました。彼のカナダ訪問は英国ロンドンでの展覧会の誘いであった。

「良くなってほしい」と言うニュートン氏の暖かい言葉ながら、エミリー自身は「絵の道具や愛犬を伴ってもう森に行くことが出来ないとしたら、回復したところで何になるだろうか」と自分の健康に懐疑的だった。 

確かに健康には問題があったものの、この間には、英ロンドンのテート・ギャラリー、トロントのAGO(アートギャラリー・オブ・オンタリオ)、バンクバーのVAG(バンクーバー・アートギャラリー)での展覧会も開催され、成功裏に終わっている。


しかし、これでエミリーは創作活動をあきらめはしなかった。絵を描くことは体力的に無理となったところで、今度は作家に転身し物語を書き始めたのだ。 

子供の頃から絵の横に添え書きしたり、ノートを携えて描画の際に感じたことを書く習慣もあり、加えて通信教育で文章の講座も取っていたことで、病気を忘れるために熱心に執筆活動を開始した。(伝え聞くところによると、エミリーの文体は彼女独特の表現があり、またスペルの間違いもあるため、現在出回っている数々の著書を一般読者に読み易くするためには、手を加える必要があったようだ) 

その第一作が1941年に出版された「Klee Wyck」。これは先住民の言葉で「The Laughing One(笑うもの)」という意味である。
昔、先住民の村々を回っていた時の体験がもとになり、病気を得たことで一冊の本として上梓(じょうし)することが出来たのだ。 


episode 5
処女作Klee Wyck」の表紙 National Gallery of Canada and Archives, Ottawa


出版後の反響は著者のエミリーも驚くほどの反響で、出版記念と70歳の誕生日を兼ねて大学の女性クラブの会員が祝賀会を催してくれた。
 
その祝賀会の模様は著書「Growing Pain」の中の「Seventieth Birthday and A Kiss For Canada」に詳しく書かれている。称賛に次ぐ称賛に気恥ずかしさを感じ「贈られた菊とカーネーションの入った箱に顔を隠した」ほどであったという。
 
この本は1941年度のノンフィクション部門のカナダ総督賞を得ている。 

翌年の1942年には「Book of Small(小さいものの本)」を出版するが、戦時中のためすべてのことに引き締めがある時代で、速やかな反響はなかったという。しかし、時が経つにつれ処女作の時と同じように多くの称賛を得たのである。 

この本の出版の後、1943年にモントリオール、トロント、バンクーバー、シアトルで個展が開催され熱狂的に迎えられた。
また1944年には、モントリオールのドミニオン・ギャラリーのマックス・スターン博士が大きな展覧会を準備して60点もの作品を販売している。

どんな状況にあっても描画も執筆も決してあきらめず、不屈の精神を持ち続けていたエミリーであったが、体力的な限界を自覚せずにはいられなかったのだろう。1945年初頭にはハリスを含む合計3人を財産保管人に指名したのである。
 
その年の2月には、バンクーバー美術館で展覧会を準備中だったが、エミリーは更に体調を崩し、生家から2ブロックほどの所にあったセントメアリーズ修道院/病院に入院することを余儀なくされた。

そして春まだ浅い3月2日、その波乱万丈の人生に幕を引いたのである。 

現在、この建物はホテル/レストランになっている。
http://www.jamesbayinn.com/
 
 
信ぴょう性については定かでないが、女子トイレではエミリーの声が聞こえたり、キッチンのお皿が時々カタカタ鳴ったりするなど、彼女の亡霊が出るともっぱらの噂(うわさ)がある。 https://www.youtube.com/watch?v=IV5OWaqOR_k



今は「James Bay Inn」というホテル/レストランになっている 

遺体はビクトリア市の最南端にあるロス・ベイ共同墓地に埋葬され、1981年には写真のような墓碑が建てられた。一番仲の良かった姉 Alice は、エミリーの死後8年目に亡くなっている。 

episode 5

episode 5
五人姉妹のうち一人だけ結婚した Clara はバンクーバーに埋葬されているために墓碑には名前がない 


episode 4,5
墓の周りにはいつも松ぼっくり、花、絵筆、鉛筆などが置かれている 

 

 episode 5
 「Dear Mother Earth」と題するエミリーの言葉が彫られている


「エミリー・カー生誕の家」についての興味深い逸話(201564日 記):
 
歴史的建造物を保存し維持することは、今を生きる人々にとって非常に大切なことは言を待たない事と思う。
それは過去を知ることによって、我々は現在の自分たちの立ち居地を知ることになるからだ。
 
だが、建造物のオリジナリティを大切にして、出来うる限り昔の面影を存続させるにはお金と時間が掛かることは周知の通りで、例え公的機関の力を借りることが出来ても、多くの場合十分ではないことはよく耳にする。
 
だがそこに、歴史があり、歴史上の人物が存在したことを知ることはとてもエキサイティングなことで、後に訪れる者たちに大いなる感動を与えるものだ。この「エミリー・カーの生涯」をまとめるきっかけになったのも、丁寧に保存されているエミリー生誕の家を私自身が訪れたことから始まったのだ。
 
そして私は、その家に住みながらキューレーターとして地道に活動する女性Jan Rossさんを知り、取材にのめり込むほどに、彼女のたゆまぬ情熱に深く感動した。

写真を撮られるのが好きではないということで登場願えなかったが、今冬、生家の床などを中心に大きなリノベーションを施したことで、ビクトリアの某不動産関係の雑誌に紹介されたのでそれを掲載する。
 
episode 5
生家の前と居間に座るキューレーターのJan Rossさん
 
しかし、今はこうして維持することに情熱を傾ける彼女の存在があってこその生家だが、今までには多くの人の手に渡って取り壊し寸前になったこともあるそうだ。
 
その一つにこんな逸話が残っている。

ある日ビクトリアの某レストランで、若い不動産会社の仲間たちがこの家のことを話しているのを、隣でコーヒーを飲んでいたある男性が耳にした。

それは「取り壊してあの土地にアパートを建てる・・・」と言ったような会話だったそうだ。それを聞いた男性はは、読んでいた新聞を即座に置いてその足で銀行に行き、自分の住んでいた家を抵当にしてお金を借り生家を買い取ったとか。
 
後になってその男性は、BC州議員のDavid Groos氏とだったと言うことが後に分かったのだが、その場に居合わせるた偶然と、直ちに起した勇気ある行動が生家を救ったという心温まる話しがある。
 
もしGroos氏がぐずぐずしていたら、今頃ツーリストを乗せて走る馬車の御者たちは「ここはビクトリアが生んだ鬼才の画家エミリー・カーの生誕の家が昔あった場所ですが、今は跡形もありません」と説明しながら通り過ぎていくことだろう。
 
episode 5
生家の前を通るツーリストを乗せた馬車
 
 
 
生家の所有者の変遷やリノベーションに関する記録などについては、以下のサイトに詳細が掲載されている:
 
http://www.bcheritage.ca/emilycarrhomework/issues/owner.htm
http://www.bcheritage.ca/emilycarrhomework/issues/restmain.htm
 
 
 
日本語読者への「エミリー・カーの生涯」の意訳を終えて(2015611日 記):

5月第2週目から、連続5回にわたってエミリー・カーの生涯について書き終えてホッとしている。すでにこの鬼才な画家の家庭、生い立ち、ロマンス、芸術への軌跡や情熱、更には、晩年の作家としての活躍など、その詳細を知っている人多いことと思う。

だが、ごく平均的な話としては、ロッキー山脈から東に行くにつれ、残念ながら、(日本人移住者の間では)ビクトリアやバンクーバーほどには、彼女の知名度は高くない気がする。かく言う私もトロントに住んでいた頃は、ごく一般的な知識しか持っていなかった。

まずエミリーの外見を見ても、目にすることの多い晩年の写真は、どこかエキセントリックで、いつもにらむような目でカメラを見据えており、決してとっつき易い人物とは見えない。そんな外見のためもあってか、ビクトリアに長らく在住している日本人の中でさえ「どこかの国から移民したオバサンかと思った・・・」と言う人もいるくらいで苦笑を禁じえない。

周知の画風といえば、先住民のトーテムポール、天をど突くかと思うほど高い木々、また思い切り枝を張った大木をキャンバス狭しとばかりに描いている。

だが、このシリーズをお読み頂いてお分かりのように、若い頃は普通の静物画などをありきたりに描いていた時期もあったわけだが、私はそこに行くまでの彼女の私的なバックを知るほどに強烈な興味をそそられた。

それは一年前に私自身がトロントからビクトリアに移住し、何度か郊外にドライブしてみると、エミリーが愛してやまなかった吸い込まれそうな高い空、深い森林、怒涛(どとう)渦巻く海辺の景色を目にすることが容易にでき、この自然環境に、時には身が震えるほどの感動を覚えずにいられなかったことが大きいと思う。

また当地には、やはりというか、当然というか、彼女に関する資料や画集が山のようにあることも発見した。

生い立ちをまとめ終えてみたら、更には、彼女が出かけたアラスカにも行ってみたくなり、私は安易な手段だとは思いながらも、クルーズ船に飛び乗ったのだ。

当時の面影は、きっと破壊されているだろうとは当然ながら予想していたが、それでも彼女の体現した世界を身近に感じてみたかったのだ。 


アラスカ:北上するに従って夕日の美しさが際立つ(2015年5月25日撮影) 



アラスカ:下船は出来ないが、甲板からは手付かずの島の風景が満喫できる 20155月25日撮影) 

予想は見事に的中し、ツーリスト用に整備された大型クルーズ船が停泊できる波止場では、エミリーの世界を見ることは出来なかったが、それだからこそ「ああ、エミリーよ!よくぞ100年前を残してくれた!」と、まだ手付かずにある島々を、私は甲板から涙が出るほど感激しながら眺めたのである。

先述のように、今トロントのAGOでは「From the Forest to the Sea : Emily Carr in British Columbia」と題する展覧会が8月9日まで開催されている。ここにまとめた5回にわたるエピソードが、カナダの生んだ鬼才画家の作品を鑑賞するうえで手助けになれば本望である
 
エミリー・カー生誕の家:
Admission:
Adults:$6.75
Seniors/Students:$5.75
Youth(6-18):$4.50
Family:$17.00
Children:5 and under free
Hours of operation
Tuesday through Saturday, 11:00 am to 4:00 pm
May 1st to September 30th, 

Contact:
Phone:250- 383-5843
Email:info@emilycarr.com 

Emily Carr House
207 Government Street
Victoria, BC Canada V8V 2K8

 
エミリー・カーの著書:
*The Complete Writings of Emily Carr: Introduction by Doris Shadbolt 
 Klee Wyck,
 The Book of Small,
 The House of All Sorts,
 Growing Pains,  
 The Heart of a Peacock, Pause: A Sketch Book,
 Hundreds and ThousandsThe Journals of An Artist
 
*Emily Carr : AN INTRODUCTION TO HER LIFE AND ART by Anne Newlands

*Emily Carr: On the Edge of Nowhere by Mary Jo Hughes, Kerry Mason

*Emily Carr: New Perspectives on a Canadian Icon
 
 
日本語訳本(3冊とも上野眞枝訳):

* カナダ先住民物語:原著「Klee Wyck(クリー・ウィック)」の訳
                  エミリー・カー著 明石書房  20026月出版 ¥2160

* エミリー・カー自伝:原著「Growing Pains(青春の苦悩)」の訳 
                  エミリー・カー著 明石書房 20046月出版 ¥4104 

*エミリー・カー 〜野に潜む魂の画家〜:原著「Emily CarrRebel Artist」の訳 
                  ケイト・ブレイド( Kate Braid 著 春秋社  20099月出版 ¥2160
 
 
 
私のまとめたこのエピソード(1)〜(5)のハード・コピーは、ビクトリア市内の以下の場所で閲覧できる。

 Emily Carr House
    207 Government Street
    Victoria, BC Canada V8V 2K8

    P
hone:250- 383-5843


Art Gallery of Greater Victoria
         1040 Moss Street 
         Victoria, BC Canada V8V 4P1
         
         Phone:250-384-4171






 


calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< November 2016 >>

selected entries

archives

links

profile

書いた記事数:75 最後に更新した日:2016/11/23

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM