晩秋の色濃いビクトリア

8月17日以来のご無沙汰です。

 

定期的にお読み下さっている方たちから「どうしたのですか?」とのメールを頂き、御心配下さっていることに感謝しております。

 

公私に渡って兎に角忙しかった9、10月でした。

 

しかし11月に入ってそれがちょっと一段落したため、今回は訳本に関しての情報に一息入れて、先日久しぶりに行った私の ”sanctuary”であるButchart Gardensで撮った写真と、すっかり晩秋の気配が漂うビクトリアの街中の花々の写真を掲載して、ご無沙汰のお詫びをしたいと思います。

 

 

この時期のButchart Gardens:

 

菊のハンギングプランツで飾られた入り口。夏にはこの庭園のシンボルであるこの場所で記念写真を撮る人々が行列を作る

 

 

この庭園のもう一つのシンボルである Sunken Garden を見下ろす。色とりどりの花が咲き乱れる華やかだった夏の雰囲気とは一変している

 

 

秋の風物詩。大小さまざま、形も色もそれぞれのパンプキンが至る所に飾られている

 

 

 

 

寒さに強いパンジーの花々が夏の花の終焉を迎えた今、ひと際美しく咲き誇っている

  

 

 

 

晩秋のビクトリア市内に見られる秋の花々:

 

バラの花が散った後に見られる真っ赤な rose bud

 

一見 ”彼岸花” 風に見えるピンクの花


最後の力を出し切って見事に咲く州議事堂近くのバラの花

 

可愛らし紫の実を一杯付けている「紫式部」。英語名はBeautiful Berryとか(?)

 

市民の憩いの場 Beacon Hill Parkに放し飼いの孔雀たち:

 

高い木の上の枝にとまり下を散歩する人々を睥睨したり・・・

 

街中の通りや住宅街にも出没してゆったりと散歩を楽しんだり・・・

 

通りを行きかう人々には目もくれず我が道を行く雄姿・・・


 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本‐カナダ商工会議所での講演会

 

訳書を上梓して丸2

 

 「Gateway to Promise」の翻訳本「希望の国カナダ・・・、夢に懸け海を渡った移民たち」が出版されてからこの夏で丸2年目を迎える。

 

 

 徐々にではあるがいまだに訳本が読まれていることは、翻訳グループの立ち上げを統括した者として心より感謝の意を表したい。

 

 今までにトロントやバンクーバーを始め、カナダ各地の日系コミュニティーなどで本の紹介を兼ねたイベントを開催して頂いたことも嬉しい限りである。

 

 またカナダの主要な街にある日本政府の出先機関には、ことごとくお買い求め頂いたことも、ここに記して心からのお礼を申し上げたい。

 

 原本は400頁もの分厚い本である事から、例えば、西海岸から始まった日系カナダ史を何らかの理由でどうしても知らなければならない限り、日本語が母語である人が読み通すのは容易なことではない。

 

 

 これは国際結婚をしている日本女性に多くみられる傾向で興味深いのだが、英語本が出版された2012年に、歴史的内容に興味を持ち、また夫(三世や四世なども含む)が英語を母語とする為に購入した方は多かった。だが5年後の2017年にこの日本語の翻訳本を上梓した折りに聞いたところ、日本人妻で原本を読み通した方は、私が知る限り一人しかいなかった。また日本人のご夫妻の場合は、内容に興味はあっても最初から英語本に興味を示さなかった方が多かった。

 

 もちろん英語本を読み切れなかった理由は、多々あるに違いない。子供がいる家庭などでは、日々の生活の煩雑さで時間が取れないことが大きな理由の一つと思われる。加えて400頁もの英語の歴史本を読み通すことは「面倒」が先にたち、結局は本箱に「積ん読(つんどく)」になって埃をかぶっているという方が多かったのだ。

 

 ブライアン・マルルーニ氏が首相だった1980年代半ばから90年代初期の頃、オタワの政府機関で同時通訳をしていた頭脳明晰なある女性でさえ、(もちろん内容に寄るだろうが)「もし同じ資料が日英両語で出ていれば、まず日本語を先に読む」と言っていた。ましてや言語関係の仕事に関係のない一般人には、慣れ親しんだ母語の方が理解度は格段に違うと思われる。

 

 ではその日本人妻たちの中で日本語訳の本が出たからと買って下さったのは2人のみだった。「家に同じ本が二冊はいらない・・・」とおっしゃるのだ。さらに突っ込んで「では英語人のお連れ合いの方は読まれました?」と聞くと、日系人のルーツのある夫の場合は「Yes」の返事が聞けたものの、その他はほとんどが「パラパラとは目を通したようです」との返事。結局「興味を示さない」ということのようだ。

 

日系移民100年祭

 

 周知の通りカナダの日系コミュニティーは、ビクトリア生れの二世であったトヨ・タカタ氏が、それまでに出ていた各種資料を読み込み、永野萬蔵氏が「1877年に来カしたと言った」と書かれているのを信じ彼をパイオニアと定めた。それによって1977年に『日系移民100年祭』を大々的に開催したのである。

 

 当時米国住いであった萬蔵氏の長男を招待し、またカナダ政府はその功績を称え、ロッキー山脈の切り立った山の一つをMt.マンゾウ・ナガノと命名した。

 

 だが残念なことに何冊か出版されている初期の日系史は、それまでに先行記録された話を繰り返すものばかりで、実際に足で歩いて資料を調べ彼の軌跡をたどってはいない。

 

 スイッツアー夫妻は、自分たちの調査でも各方面からの情報を収集してみると、年代に関して辻褄の合わないことが色々と出てくることに気付いた。

 

原作者のスイッツアー夫妻

 

 そこで2016年には萬蔵氏の故郷である長崎県口之津にある郷土資料館まで出向き調査してみると、1887年に住民票を横浜に移動したという書類が展示されていたことを突き止めたのである。となると1877年にはまだ故郷に在住していたことになる。

 

 もちろん萬蔵氏は後日カナダには来ており、辣腕なビジネスマンとして西海岸で活躍した男性だったことは確かであった。

 

 後世の歴史家の調査によって、それ迄信じられていた史実に新たな光が当たるのはよくあること。『萬蔵パイオニア説』もその一つかも知れない。

 

 私は今で言う『歴女』などではないものの、今夏バンクーバーの日本・カナダ商工会議所からのお招きを得た折りには、そんなお話をさせて頂いた。いまだに興味を持って下さる方々がいる事、特にバンクーバーに語学留学している若い学生さんたちが何人か来て下さったことも嬉しかった。

 

バンクーバー日本―カナダ商工会議所での講演会の模様

 

 

 いつの時代も、過ぎ去った日々に思いを馳せるのは興味が尽きないものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


童話作家 童飛鳥氏からの嬉しいお便り

読者の中には、カナダと日本を中心に世界で活躍する童話作家・童飛鳥氏をご存知の方は多いに違いない。

 

 

すでに何冊もの本を出版されていることから、氏の書籍をお持ちだったり、或いはお読みになった方は数限りおられる筈。

私はトロント時代にお知り合いになり、付かず離れずお付き合いをさせて頂いた。

 

氏を紹介する数ある記事の一編:

http://www2.bitslounge.com/a00_interview/2004/0204_wara.html

 

 

以下の童話は高円宮妃久子様の書かれたお話しに飛鳥氏が絵を描かれた一冊

 

 

ご出身は四国の香川県で、40余年カナダに居を構えてご活躍の後、この春故郷に戻られて日本を基点にされながら、新たな芸術活動を展開され始めた。

 

是非一冊お届けしたいとお送りした訳本に対して、引っ越されたばかりでお忙しい折りにも関わらず、以下のようなお礼のご返事を頂いた。

 

 

敬子さま

 

『希望の国カナダへ・・・夢に懸け、海を渡った移民たち』の本が届きました。お手配恐縮しました。

 

 

早速「春うららかな書房」の原 生様にはお礼の電話をしましたが、留守でしたのでお礼の言葉のみお伝えしました。敬子さんにも早くお礼の気持ちを伝えなければと思いましたが、やはり本に目を通してからの方が良いと考えましたので、ご報告が遅くなりました。 

 

 第一部「歴史:ビクトリアの日本人」、第二部「縁の地」を拝読しながら、原作者のアンリー/ゴードン・スイッツアーご夫妻の入念な資料を元に徹底した取材を通して得た貴重且つ希少な情報を元に纏められた内容の日系史に驚き感動しました。

 

 私が知るカナダの日系人に関して書かれた本に最初に出会ったのは新保満氏の『石をもて追われるが如く』、ジョイ・コガワ氏の『おばさん』、高島静江氏の『強制収容所の子供たち』等でした。

 

 ですからこれほど入念に戦前をずっと遡って綴った日系人に関する書籍には出会わなかったので、とても興味深く読ませて頂きました。

 

 第三部の「個人の歴史」もよくもこれだけ多くの方達の生い立ちから生き方までも調べ上げたことに作者の熱意が感じられました。

 

 私自身40年前に渡加した際、トロントで一番最初に出会ったのは新移住者ではなく戦前から移住された一世の方達でした。

 

 そのきっかけはこの物語にもでてくる日本語新聞「New Canadian紙」に「ニッポニアホームへ慰問に行くバスに未だ残席あります」の記事に目が止まり参加しましたが、新移住者は私一人でした。

 

 そんなご縁から一世の方達との触れ合いの機会が増え、特に和歌山県出身の西岡小菊さんとは親しくお付き合いをさせて頂き大変お世話になりました。

 

 西岡さんの旦那様はスティーブストンで漁師として成功を収め、三隻の船を持っていましたが、第二次大戦勃発後三隻の船は真っ先に没収されたというお話を伺い、一世の方達を通してカナダにも戦前から移住した日系人がいらしたことを初めて知り、日本の教科書には南米やアメリカに移住した方達の歴史しか書かれていなかったので、己の無知を恥じました。

 

 そういう意味でもこの第三部の「家族の物語」はとても興味深く読ませて頂きました。

 

 それにしてもスイッツアーご夫妻の大変な労作の翻訳に取り組まれた敬子さんの日系史に関する大変な熱意とご努力、そして敬子さんに賛同して協力して下さった16名の方達や美智子さんにも敬意を払いたいと思います。

 

 素晴らしい本に纏まっていると思います。日系人に関する内容の書籍に限らず、カナダに関する本が出版される度に思うのは、なかなか日本の読者に浸透していかないことです。

 

 長年の友人の佐藤アヤコ教授(明治学院大学、日本ペンクラブ理事)は長年Joy Kogawa、Kerry Sakamoto、Margaret・Atwood(佐藤教授が3冊日本語に翻訳)、Michael・Ondaatje等カナダ人作家の作品を日本に紹介したり、明治学院大学に招いて講演やシンポジュームなどを企画、主催し、また日本人作家・阿刀田 高、赤川次郎他を国際交流基金を通してカナダに招聘したり、両国の文化交流にとても協力的です。

 

 その彼女が「カナダの文学は地味なので、日本の出版社がなかなか取り上げてくれないのよ」とよく嘆いていました。同じ日系史でも南米や米国に関しては多くの書物が出版され、それらの作品の幾つかは映画化もされています。

 

 この『希望の国カナダへ・・・』も脚本家のどなたかが興味を示して映画化されるともっともっと注目されるような気がします。

 

〜中略〜

 

 最後に、本の内容ではなく、装丁に関して気付いたことを述べさせて頂けるならば、 本のタイトルが背景の写真に邪魔されて表紙と背共に目立たないのが気になります。

 

 

 私は20代の頃東京でグラフィックデザイナーとして20数冊の書籍の装丁、デザインを手掛けましたが、その際最も心掛けたことは、書店や図書館に並べられた時に平積または書棚に並べられた場合の両方を考慮し、他の書籍よりもよりインパクトを強く、読者の目につき、探しやすいように注意を払っていましたので、今も自作本はできるだけ自分でデザインをしています。

 

 これは出版社サイドが配慮することなので、勝手なことを書いてすみません!

素晴らしい本に出会えてことに感謝し、お礼を申し上げます。                                                                                      有難うございました。

 

わらべ

 

 

 

 

 


「令和」開始の日(5月1日)に寄せて

半月前の4月15日に私は、以下の文章をトロントの女性ライターの集りである「G8」https://thegroupofeight.com/の定期投稿に載せた。

そして今日5月1日には「平成」が「令和」という新元号に変わり、日本社会に変化がもたらされた。

 

その投稿に多少の手を加え、ここに再掲載したいと思う。

 

 

 

平成」最後の月(4月)にカナダから

 

カナダBC州ビクトリア市で見た新元号発表の瞬間 

4月に入ってからは、日本からのメルマガや友人からのメールに「平成最後の月」という言葉が躍っている。

 

天皇が変わるたびに設けられる日本特有の元号については、41日からの半月間多くのメディアがうん蓄を傾け、有識者の談話と共にあらゆる情報が飛びかっている。

 

当然と言えば当然だが、はっきり言って外国住まいには、今一つ「ピンと来ない感」があることは否めない。まだまだこれからも想像に絶する程の関連ニュースが流されることだろう。 

 

日進月歩で発達しているテクノロジーのお陰で、新元号発表の瞬間は世界中でそのニュースを見ることが出来、もちろんカナダも例外ではなかった。

 

 

奇しくもその日私は日本の友人に夕食を招待されていたことから、時間を併せ彼女のコンピューターで成り行きを見守りながら、「平成」が決まった31年前の事に思いを馳せていた。

 

 

当時私は日本経済新聞トロント支局に勤めていたことから、決定した瞬間に本社が世界各国の支局に流したFAXによって知ったのである。

 

もちろん電話によって情報を素早くキャッチすることは可能であった。だが一般の人々が世界を駆け巡るニュースを瞬時に得られる時代ではなかった為、トロント在住の日本人からの問い合わせが殺到し、支局は対応に追われたのが懐かしく思い出された。

 

一時立ち消えの女性天皇論

北米や南米大陸の国々では、カナダも含め、いわゆる王室/皇室と言うものを持たない。だがカナダは連邦立憲君主制国家で英連邦王国の一つである。今は多民族社会で「二言語(英仏)多文化主義」をモットーとするものの、人口の70%近くはヨーロッパ系白人であるため、国民の多くは英王室関連のニュースに一喜一憂する。

 

それが君主を持たないアメリカ人たちから見ると羨ましいと思う向きもあるようだが、代わって注目の的になるのは大統領一家で、過去においてはケネディ家がその最たるものであった。

 

国の象徴である王室・皇室が長い歴史を持ち、良くも悪くも国民の注目の的になるのは英国も日本も同じである。しかし両国の決定的な違いは、英国の場合、次期君主は男女に関係なく第一子の最初の子供であることだ。

 

まだ記憶に新しいが、日本にも秋篠宮家に親王が誕生するまでは女性天皇論が浮上した。だが直系ではないものの男子が生まれたことで、議論は大いにくすぶりながらも今は一時立消えになっているようである。

 

今後彼が成人して子を成すまでにはまだ20余年は掛かるだろうことを予測すれば、切迫した問題ではないわけで関係者はさぞやホッとした事だろう。

 

天皇制の存在

歴史を見れば明らかなように、明治天皇の側室の子であった大正天皇に男子(昭和天皇)が生まれ、また次にも男子(平成天皇)が生まれたこともあって、それまで当然の如くまかり通っていた側室制度が自然消滅した。

 

近代社会にそぐわないことで変化した制度はそればかりではなく、美智子皇后が民間から嫁したこと、乳母を雇わずに自ら現皇太子を養育したこと、続いて紀子妃、雅子妃がそれに続き、徐々にではあっても皇室のあり方は時代と共に変化している。加えて近年は皇族が通う学校も今までは学習院と決まっていたことも、国際基督教大学、お茶の水と言った学校が選ばれていることも周知の通りである。

 

正直な気持ちを明かせば、私は「天皇制の存在」というものには非常に複雑な思いがあり、お正月に皇居に行きただニコニコと『天皇バンザイ』を口にすることにも何処か抵抗があった。

 

それは何に原点を発するかと言えば、戦前全く「普通の市民」の一人であった父が、「天皇陛下」の名のもとに終戦を迎える僅か1年前(昭和19年‐1944年)に赤紙1枚で招集され、フィリッピンで戦死した(と言われているが、実際は何処か分からない)からだ。父はすでに36歳で子供が三人おり、自身の父母も養う一家の大黒柱であったが、負け戦が続く日本はもう元気な男子なら誰でも戦場に駆り出したのである。

 

だがそんな切迫した時でも、与謝野晶子の歌のように「皇尊(すめらみこと)は戦いに、御自らは出でませぬ〜」のである。

 

その後国から私の家族の元に送られたのは、桐の箱に入った何処で拾って来たかも分からない石ころ一つで、出生時一歳だった私には父の記憶は一切なく永遠の思慕で終わっている。

 

だからと言って、平成天皇に先の戦争の責任があるとは思えないし、戦犯として処刑された人々が眠る靖国神社には決して詣でないことも当然の事と思う。またこの何年かは美智子皇后と共に東南アジアの旧戦場地を幾つも歴訪し、言ってみれば昭和天皇の戦争責任の‟尻ぬぐい”をしているのは見上げた事と思う。

 

加えて、これも非常に私的な体験なのだが、2009年に両陛下がトロントを訪問された際に、私は実母がシニアになってから移住したトロントでの生活体験を書いた「カナダ生き生き老い暮らし」(集英社)を、団長だった福田元総理に託して両陛下にお渡し下さるようお願いした。

 

右側の文庫本をお渡しした

 

中に記した母の戦争体験記を是非ともお読み頂きたかったからである。戻されることを覚悟していたが、23日してお二人がバンクーバーに到着された時、美智子妃の女官と言う方から「確かに受け取り、美智子妃にお渡ししました」との電話を頂いた。

 

私は一市民の戦争への思いが伝わったことに喜びを感じ、心の中に「許」という思いがスーッとよぎったのを覚えている。

 

時代に沿った流れ

新元号「令和」はあと半月弱で始まる。第二次世界大戦後に生まれた人口が8割を超えた今でも天皇制、天皇家は日本にしっかりと根付いている。今後も存続し続けるのであろうことを考える時フツフツと湧く思いは、時代と共にもっとそのあり様は変革していくべきであると強く感じるのだ。

 

側室制度の廃止が当たり前なのと並行して、天皇家に嫁ぐ女性たちが「男子を産む器械」に化すのではなく、英国の様に男女に関係なく第一子が次代を継ぐことが当然と国民が思えるようになって欲しいと願うのである。

 

昨今は美智子妃の結婚後、旧皇族からの大変ないじめがあった事が明かされているが、妃にとってとてもラッキーだったのは、結婚の翌年に第一子として皇太子が産まれたことであろう。

 

それが雅子妃には叶わず、結局男子の誕生はなかったわけで、そのプレッシャーが如何ばかりであったかは容易に推察出来る。もちろん第2子の懐妊が成らなかった理由は国民には明かされないが、雅子妃にのみに責任があるとは全く思えない。こうした種々の精神的要因がもとで病気になられたのは至極当然であると推察する。

 

だが今後は唯一無二の雅子皇后になられるわけで、召される洋服も(高級品ではあるのだろうが)、まるで一昔前のテーラード襟の‟地方公務員の制服もどき”のスーツは止めて、独身時代のようにもっと個性豊かなスタイルであって欲しいと願う。日本には世界で活躍する素晴らしいいデザイナーが沢山いるのだから!

 

最後に『令和』礼賛に水を差すわけではないが、日本語の余り分からない人に「レイってどんな字?」と聞かれた時、「『命令の令』と言うのはとっても嫌」と言う日本語教師がいる。

 

また『万葉集』の『梅花宴(梅の花を見る宴会)』で詠まれた32首の歌の序文から採用されたと言うが、「梅は中国を象徴する花ではないの?」との質問も受けると言う。

 

2月の鎌倉・東慶寺に咲く梅

 

日本人が好いてやまない桜でなかったのは惜しまれる。

 

BC州ビクトリア市の咲く満開の桜

 

5月1日記:

新元号が決まって一ヶ月経った今なら、『令』には『うるわしい』という意味がある事を多くのメディアが報じ、確かに広辞苑を見ても説明の4番目には『よいこと』『めでたいこと』と書かれている。だが、現場の先生が苦労するのも分かる気がする。

 

 

 

 

 


東京カナダ大使館での訳本紹介イベント

一月半ばから3月初旬まで、今回は6週間に渡って訪日していた。

 

幾つかの私的用事と共にビジネス関係で一番念願だったのは、東京カナダ大使館で訳書紹介のイベントをして欲しいとのお願いに対する返事を頂くのが目的であった。

 

御所の目前の青山通りにあるカナダ大使館の建物

 

すでにこの欄で何度も書いているように、去年と今年は日加友好関係樹立から90周年と言う記念の年に当たるため、「日系カナダ史」を少しでも多く日本の読者に理解して頂きたいとの思いがあったからだ。(不随ながら、記念の年が二年に渡るのは、日本からカナダに公館を出したのが1928年で、カナダから東京にオフィスを設けたのが翌年の1929年であった為である)

 

 

そこで去年(2018年1月)から、私は精魂込めて丁寧なお願いのメールを何回も送った。もちろん英文のプロポーザルも然るべき担当者に渡して欲しいと送っているし、原作者のAnn-Lee/Gordon Switzer夫妻も、現カナダ大使宛てに郵便で手紙も出している。しかしこの一年余り返事は一切なく「無しのツブテ」だったのだ。

 

私たちは飛行機代やお礼などを一切要求していない旨も書いた。ただ両国にとって非常に記念すべき年に、意義あるイベントをさせて頂きたい旨をお願いしたのみであった。

 

しかし待てど暮らせど一切の返事がなかった事で、私は今回の訪日の折りに然るべきカナダ人の担当者に直接会って、交渉させて頂きたかったのだ。

 

だが残念ながらその「然るべき担当者」にお会いすることは出来ず、結果から先に言えば「NO」と言う返事のメールが、最初にアプローチした日本人職員の方から英語で送られて来た。

 

もちろん担当のカナダ人に、そのメールがBCCが送られていることは自明の理である。私は即カナダ人の担当者に英語で「とても残念である」旨の返事を送った。

 

理由はと言えば、そう言った文化的な行事には興味がないこと、またお決まりの資金不足というのである。東京でそのメールの返事を入手するまで、大使館への訪問、電話、何回かのメールのやり取りがあった事は言うまでもない。

 

しかしそうであるなら、何故無回答を押し通さず「興味なし」あるいは「資金がなし」と一年以上前に一言返事をくれなかったのだろうかと、断られた今も不思議でならない。

 

40数年カナダに住んでいる私のカナダ人に対する感想は、礼儀正しく礼節を重んじる人たちであることから、大使館上層部の人々の誠意のなさに、原作者のAnn-Lee/Gordon Switzer夫妻共々心底落胆している。

 

 

エレベーターで二階に上がると、開かれた空間に造られた石庭が目に飛び込んでくる

 

 

 

 

〜*〜*〜

 

 

追記:折も折先月3月24日には、テレビ東京開局55周年特別企画ドラマスペシャルとして山崎豊子の「二つの祖国」が4時間にのぼる長編ドラマになって放映された。

 

 

 

また1984年には、題名を原作の「二つの祖国」から「山河燃ゆ」に変名して、初めて太平洋戦争を描いた「大河ドラマ」としてNHKで制作された。出演は松本幸四郎、西田敏行、鶴田浩二、三船敏郎、沢田研二などである。

 

 

加えて2010年11月には、TBS開局60周年記念として「99年の愛 〜Japanese Americans〜」と題するドラマが創られた。草薙剛、仲間由紀恵、岸惠子などが出演している。

 

 

この様に日系アメリカ人を主題にしたテレビドラマは私が知るだけで3本も制作され、テレビと言う媒体を通して放映され多くの日本人視聴者を得ている。

 

一方日系カナダ人については2014年に「バンクーバーの朝日」と題した映画が、妻夫木聡主演で製作されたものだけである。

これは当時の日系カナダ人の男の子たちが集まってバンクーバーで作った野球チームの話で、白人カナダ人のチームとの試合を通して排斥の日々に立ち向かう若者たちの物語である。

 

 

カナダもアメリカと同じように日系人は戦時中に強制収容所に送られている。

 

だがアメリカ西海岸の日系人との大きな違いは、終戦(1945年)を迎えてからも4年の間日系人に対して非常に偏見のあった当時のマッケンジー・キング首相の意向を反映した法律によって、西海岸の故郷に戻れなかったと言う悲史がある。

 

彼らは日本に戻るか、又はカナダの東部に移動するという選択を余儀なくされた。しかしこの事実を知る日本人はごく限られている。

 

そんな意味においても、日加修好90周年に当たり東京のカナダ大使館において「希望の国カナダ・・・、夢に懸け海を渡った移民たち」の紹介が出来ることを切望していたのだが・・・。

 

 

訳本の購入は引き続き以下で可能です。

 

カナダ・アメリカ:サンダース宮松敬子

               本代:$29.95cad(税込み)+送料

       mail:k-m-s@post.com

 

カナダ・トロント:Japanese Canadian Cultural Centre(トロント日系会館)の本屋

                                  6 Gramond Court ,Ontario, Toronto, M3C 1Z5

             Tel:416-441-2345

              本代:$29.95cad(発送はしていません)

 

カナダ・バンクーバー方面:Nikkei National Museum & Cultural Centre (日系ミュージアム)の本屋

                                            6688 Southoaks Cres. Burnaby, BC, V5E 4M7

                 Tel:604-777-7000

                  本代:$29.95cad(発送はしていません)

 

東京:連絡所

    本代:¥2600.00+送料(1〜2冊)レターパック¥360.00=¥2960.00(合計)

    mail: shohara@uraraka.co.jp (連絡所代表の原 生(Hara Sho)氏とやり取りをして下さい)

 

 

 

 

 

 

 

 


再度:訳書「希望の国カナダ・・・」東京連絡事務所

 

現在訪日中で、日本で訳書の販売に力を入れている。

何処で買えるかとの問いをよく頂くので、ここに再度販売元のインフォメーションを掲載したい。

 

⁂日本:

 

東京:翻訳本「希望の国カナダ・・・、夢に懸け、海を渡った移民たち」東京連絡所

    本代:¥2600.00+送料(1〜2冊)レターパック¥360.00=¥2960.00(合計)

    mail: shohara@uraraka.co.jp (ここにメールして連絡所代表の原 生(Hara Sho)氏とやり取りをして頂きたい)

 

 

 


冬枯れの中のオアシス

カナダの中では一番温暖と言われる西海岸のブリティッシュ・コロンビア州の州都ビクトリア市だが、やはり冬真っ盛りの今は、日中の平均温度は7、8℃に下がる。だが夜でもマイナスになることは滅多にないのが嬉しい。

 

ビクトリア市は島の最南端にある。右下の赤線がアメリカとの国境線

 

今年の冬は例年に比べ多少暖かい気がするが、冬は何しろ雨が多いのが当地の特徴である。それでもバンクーバーよりは雨量が半分以下という人もいるが、そこには住んだことがないので自分の感覚を持って比べることは出来ない。

 

西海岸に雨が多いのは、海からの風がロッキー山脈にぶつかり、雪の湿気を含んだ冷たい風が跳ね返ってくるためで「これでもか!」とばかりに雨を降らせるのだ。冬にはそんな日が多いため、曇り空の陰鬱な日が続くのである。

 

しかしそれだからこそ、太陽が出る明るい日には冬にもかかわらず、見事な程青々とした芝生を見ることが出来るのだ。

 

40余年暮らしたトロントから当地に国内移住して早くも4年半余り。当初、冬には避寒地(ここはメキシコが一番の人気)に行くと言う人の話を聞いて、「−24、25℃にもなる極寒のトロントに比べたら何とも過ごし易い場所なのに、なんで?」と思ったものだ。だが、慣れてくるとこの雨が嫌と言う人々の気持ちが理解出来るようになる。「人間とは何とも贅沢なものよ!」と思うのだ。

 

そのビクトリアの中で、私が自分で「Oasis(オアシス)」或いは「Sanctuary(聖地)」と呼んでいる場所がある。年間通しのパスを買い、一年中気が向くと片道25キロの道を車でひた走り訪れる。

 

それは「Butchart Gardens」と呼ばれる55エーカーもある広大な花一杯の公園である。北米の中でもその美しさでは1,2を争う場所である。

 

もちろん今は冬枯れで「花」と呼べるものは僅かに数えるほどしかない。

 

 

健気にクリスマスロースが花を咲かせている 

 

 

 

秋の名残りの赤い実をつけた木の向こうに五つの噴水が見られる丘の上と、秋の盛りには真っ赤になるBurningTreeが二株見える。

 

 

 

だが寒風の中で春をひたすら待つ蕾の数々を見ると「もうすぐ暖かくなるからね。頑張って!」と

思わず声を掛けてしまう。

 

 

 

そしてこの時期だからこそ、花の盛りにその命を精一杯開花させるための下準備をするガーデナーの

地道な仕事ぶりが見られるのも嬉しい。↓

下は分かりずらいが、ガーデナーが木々を剪定している↓。

 

 

 

いつもは賑やかな子供の歓声が聞こえる回転木馬も今は開店休業である。

 

 

花の盛りには以下のような風景が見られ、それは息を飲むほどに美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Richard Atwell サーニッチ市長地方選挙に敗れる

周知の様にカナダ西海岸の「バンクバー島」と言うのは、本土にあるバンクバー市とは何ら関係なく、ジョージア海峡を隔てた島である。とても不思議なことなのだが、ここにはブリティッシュ・コロンビア州の州都であるビクトリア(Victoria)市がある。

 

「不思議」と言うのは、フェリーなら1時間半、飛行機でも20数分はかかる離れ島に州都があるのは何かと不便で、「どうしてここに?」と思うからだ。カナダを余り知らない人は、「バンクーバー」という名前が同じために、二つの地理的関係がよく分からずにいる人もいるようだ。

 

まして2010年には冬季オリンピックが本土のバンクバー市で行われたため、そこが州都と思っている人も多く、過日出会った日本からの観光客は「ここに来るまでその違いがハッキリと分からなかった」と漏らしていた。

 

 

そんな不便さはあるものの、州都のお陰で当市には連邦政府、州政府、地方自治体など政府関係に働く人がそれこそワンサ、ワンサといて、雇用を生み出しているのだ。また他にも「知る人ぞ知る」の産業として、IT関連のビジネスがかなり盛んとも言われている。

 

では経済的、文化的、社会的に活気がある町かと言えばそれは「NO」であり、やはりここは島であり、島のメンタリティーがあり、島の生活なのである。

 

勿論それがいいと言う人は多く、また寒冷国カナダの中では地中海性気候の影響で気候が一番温暖なため、本土のそれぞれの町で長いこと仕事をしていた人々が、リタイア後に当地に国内移住してくる人が多い。そのためシニアの人口は、例えばビクトリア市では約21%で5人に一人は65歳以上と言うことになる。

 

元来この島は先住民族(カナダでは「インディアン」と言う言葉はどうしても必要な時以外は使わない)の土地であったのだが、18世紀後半に交易を目的に西進して来たイギリス人らとの接触によって外部の経済に取り込まれていった歴史がある。

 

その後1867年にイギリス自治領が確定すると移住が増大し、鮭の缶詰製造を始め、水産加工工業や林業・製材業などの開発が進み、同時に法律によって先住民たちは伝統的な慣習を禁止されるなど多くの悲劇を味わったのである。

 

これは大変な悲史であるものの、一方これらの産業の発展のお陰で第二次世界大戦以前迄は、日本からの移民を増やし西海岸地域に定着し日系カナダ人は経済的な礎を築いたのである。(第二次世界大戦が勃発すると共に日系人は、根こそぎロッキー山脈の麓の強制収容所に送られた)

 

当時9カ所あった本土の強制収容所の中で最大の規模であったタシミ(Tashme)収容所跡には、ミュージアムがあり後世に負の遺産を伝える目的で保存されている

 

その英国統治の歴史的名残りは、今でも通りや建物の名前などに「Royal、King、Queen、Prince、 Princess」と言ったものが滅多やたら存在するし、欧州の本国や移住後に当地で業績を残した人々の名前も「これでもか!」と言うほど残っている。

 

加えてその当時地域を統治していた政治的分布が今も存在するため、バンクーバー島の南半分のこの小さな場所に、地方行政管理地域が数えるのに一苦労するほど存在するのである。

 

実は2週間ほど前に地方行政レベルの選挙が行われたのだが、自分の住む市町村以外の立候補者たちの詳細を把握するのは至難の業であった。

 

さて当欄の9月20日に書いたSaarnich(サーニッチ)市は、Victoria市に隣接する市であるが、3地域(Saarnich,Central Saanich, North Saarnich)に分かれている。私の訳本を買って下さったRichard Atwell氏はSaarnich市の市長であったが、残念ながら市長職を失ってしまった。

 

2014年に選出された時はIT企業に勤めたいた精鋭との売り込みで、それ迄の市長は4期も続いていたために新顔が欲しかったから、と言う事らしい。だが市長の座に着いてからは、公金の使い道が荒かったとか女性問題などが絡んだから・・・と言う事で人気を失ってしまったようだ。この地域に住む友人は「してやったり!」と思ったと言う。

 

今や女性問題が絡むと命取りになることは、世界中に広がるうねりで大変に結構なことだ。しかし「人を心から好きになる、愛する気持ちを持つ」と言うのは人間にのみ与えられた、良識では割り切れない感情でもある。

 

広島の廿日市市と姉妹関係を結ぶことに力を注いだ前市長Atwell氏。

被爆した広島の銀杏から取れた種で育った苗木がSaarnich市に送られ、庁舎の前庭に移植されている。

 

だがトランプの様に愛もへったくれもなく不特定多数の女性と「わいせつ行為」を行い、それを自慢し、問題になると「フェイク」だと言い、弁護士を使って口止め料を払い・・・などという輩でも、多数の女性票を集めて一国の大統領になるのだから、有権者の感情と言うのは不思議なものである。

 

それにしても 4年ぶりの「ねじれ議会」が生じた昨日(6日)の米中間選挙は、「トランプの評価」を巡って生じた米国民の大いなる迷いであった事が如実に表れていて隣国に住む者としては特に興味深い。

 

だが「あの男が大統領の内は、アメリカには足を踏み入れたくない」とか「1セントたりともあの国に落としたくない」と言うカナダ人はかなりいて、私もその一人。6月に行われたハワイでの海外移住者のコンベンションに出かける時は渋々だったが「オバマ前大統領の出身地だから、まあ、いいか・・・」なんて言い訳をしたものだ。

 

 

さて一方、ビクトリア市のLisa Helps氏は、この地方選挙で次席と4000票も引き離し再選した。どの政治家も100点満点を得ること等はあり得ないため、彼女への批判が大いにあったのは事実だったが公平な民意が反映したと言えるだろう。

 

当市は岩手県の盛岡市と姉妹都市で、Helps氏はその関係維持に力を注いで来た。友好関係が今後も密に続くことを期待したい。

 

ダウンタウンのインナー・ハーバーを背にしたLisa Helps ビクトリア市長

 

 

 

 

 

 

 

 


Saanich(サーニッチ)市市長 訳本を購入

変わらずに、訳本の販売に絶え間ない努力を続けている。

 

今回は、バンクーバー・アイランドにある州都ビクトリア市の隣にあるSarrnich(サーニッチ)市の市長・Richard Atwell氏が訳本を買って下さった事を書きたい。

 

ことの成り行きはこうである。

 

8月末のある日、Sarrnich市に配達されるThe Goldstream News Gazette紙に、Atwell 市長が広島の平和記念行事に出席するため広島を訪問した記事が掲載された。丁度その地域に住む友人の一人が、すぐにそのニュースを知らせてくれたのである。

 

記事は市長がセレモニーに出席してとても感動し、やはりこうした式典は臨席することで臨場感を味わうことが出来、平和の大切さを一層強く感じたと書かれていた。加えて、市長はかねてより姉妹都市の提携を結ぶ準備をしている広島の二十日市も訪問し、市長を始めとする関係者たちの歓待を受けたことも書かれていた。

 

そこで私はAtwell 市長に以下のようなメールを送った。

 

〜*〜*〜

Dear Mayor Atwell,


My name is Keiko Miyamatsu Saunders. While in Toronto I joined the Nihon Keizai Shimbun (Nikkei) Canadian Bureau. Later I branched into freelance writing, including several books.

I continue to write about Canadian social issues of interest to Japanese language publications in Canada and Japan from Victoria since moving here four years ago.

The Goldstream News Gazette reported on your return from Hiroshima, Japan where you attended the Peace Ceremony. You also visited Hatsukaichi City with whom Saanich is considering a sister-city relationship. I would be very excited and happy if that happens! Prospects for exchange students and business opportunities between the two cities are most attractive.

I was introduced to Councillor Susan Brice by Jan Ross, curator at Emily Carr House in Victoria last May. The Councillor is aware of my recent Japanese translation of Victoria writers Ann-Lee and Gordon Switzer's book on early Japanese Canadian history: "Gateway to Promise".

Japanese immigrants initially came to Victoria about 140 years ago. Many lived on the West Coast of BC. The book recounts these families’ stories until evacuation in April 1942.

The Japanese translation may be especially appropriate for new Japanese associates, providing them an understanding of our Japanese history, and importantly, suggesting our region’s current attitudes toward Japanese contributions.

We are about to commemorate 90 years since Japan and Canada began diplomatic relations. Soon the summer 2020 Olympic games will open in Tokyo. Both events are destined to increase interactions between the two countries.

I would like to meet and briefly introduce you to "Gateway to Promise", especially the Japanese translation "Kibo no Kuni Canada, Yumenikake Umi wo Watatta Imintachi ‐希望の国カナダ…、夢に懸け海を渡った移民たち", which may enhance such interactions.

I appreciate your attention very much.

Sincerely,
Keiko Miyamatsu Saunders

PS: I understand you visited the Canadian Embassy in Tokyo. Your time is precious, so I doubt you visited the embassy’s E. H. Norman Library. I am proud and grateful that my major books were launched at the Library, and that Canada facilitated my talk at Expo 2005 Nagoya. 

 

〜*〜*〜

 

今回こうした公の機関にメールを送る経験を何度かして嬉しく感じたのは、どんな市井の人からのメールでも、然るべき部署に必ず廻され2、3日の内に返事が来ることである。

 

Sarrnich市も例外ではなく、3日ほど経ってから市長の秘書から返事が送られて来た。曰く、「市長がお目に掛かりたいとのことなので以下の日にちの中から都合の良い日を知らせて欲しい」とのことであった。

 

‥‥と言うことで、Atwell 市長との面会がかない、予定を大幅に越す時間を頂き訳本の説明をさせて頂いた。

 

市長室にて

 

もちろんカナダ日系史の訳本にはとても興味を持って下さり、その場で英語の原本も含め即購入を決めて下さったのは嬉しかった。

 

添え木をして大事に育てている銀杏の苗木

 

話があれこれと弾むのはいつものことなのだが、その中で被爆した広島の銀杏から取れた種から育てたという小さな植木がある市庁舎の前庭に、自ら案内して下さった。

 

「信じられないけれど、凄いでしょ!大きくなるのが本当に楽しみ!」と顔をほころばせた。

 

 

両市が正式な姉妹都市が決まる日が待ち遠しい。

 

 

 

 


ビクトリア市市長 訳本を購入!

すでに何度も書いているように、夏のビクトリア市は街中に花が溢れ実に美しい。「Garden City」と呼ばれる由縁である。

 

 

 

夏は乾期で雨が殆んど降らないため、6月末頃より始まる野外のコンサートやアートショウが、天候を心配することなくあちらこちらで開催される。市は案内のブックレットを用意して詳細を知らせるが、ほとんどは週末に行なわれるため、興味があるものが時間的に重なることもあり、時には綿密な計画が必要である。

 

例えば音楽関係のショウでは、トロントの様に有名人が頻繁に来ることは余りないものの、それでもエルトン・ジョン、ナナ・ムスクリ、シャナイア・トゥエインと言った歌手もたまにやって来る。もちろんこうしたエンターテイナーは劇場での公演になるが、当然ながら切符はすぐに売れ切れる。

 

となると、夏の週末の午後公園の野外のステージに来るのは二流どころとなる。が、「それがどうした!」と割り切って「自分が楽しきゃいいじゃない!」と思えれば、それなりに楽しくこよなく快適であり、そよ風を感じながらベンチに座って音楽をゆっくりと聞きながら週末の午後の一時を過ごすのは悪くない。何と言ってもフリーでなのがいい。

 

そんなイベントの一つに、コンサートなどではないが、7月末に開催された「Sri Guru Nanak Dev Ji」peace・walkと言うのがあった。

 

ビクトリアに引っ越して来てから、毎年このイベントの広告を新聞で見て気になっていた。しかしながら、兎に角訳本の出版に向けて時間を取られていたため見に行くことが出来なかったのだ。

 

 

そこで今年こそはと思い、市内で一番大きな公園Beacon Hill Parkのステージに出かけた。まったく予備知識がなかったため、一応ネットで「Sri Guru Nanak Dev Ji」なる聖人の事を調べるだけはしておいた。

 

私は彼の精神的なものを引き継ぐリーダーがいて、何かお説教か訓示のようなものがあるのかと勝手に思っていたのだが、その予測は見事にはずれた。

 

行ってみて分った事は、ビクトリア市で活躍する多くのコミュニティのリーダーたち(警察署長、各地域の市長、幅広く知られているビジネス・リーダー、消防局長など等)が壇上に座っていた。そして次々とビクトリア地域、カナダ全体、ひいては世界の平和について考えようと短いスピーチを行ったのだ。

 

その後は、参加者100余人が5キロほどの海沿いの道を歩いて公園に戻り、インド人のコミュニティーが用意したカレーライスやサラダなどのランチを食したのである。

 

私には何か一つ焦点が定まらない感じがしたものの、良く晴れた日でもあり、こんな風に日曜日の午後のひと時を過ごすのは「確かに心豊かになるな〜」と思わせてくれた行事だった。

 

そしてすべてのイベントが終わり帰ろうとした時に、遅れた来たLisa Helpsビクトリア市長に公園内の小道でバッタリと出くわしたのである。

 

私はすかさず声を掛け自己紹介をして、訳本「希望の国カナダ・・・、夢に掛け、海を渡った移民たち」の紹介をした。手元に本がなかったのが残念だったが、名刺を渡し是非オフィスにお訪ねしたい旨を伝えた。

 

 

とても気さくな女性市長であることは知っていたが、予想通り二つ返事で快諾してくれ「市庁舎のネットで、貴女の趣旨を書いたメールを送って欲しい」と言う

 

そして書いたのが以下のプロポーザルのメールである。

 

〜*〜*〜*〜*〜

 

Hello Mayor Helps,

I had the pleasure of meeting you at Beacon Hill Park last Sunday following the Nanak Peace Walk.

We spoke of my recent translation to Japanese of Ann-Lee and Gordon Switzer's English language book on early Japanese history in Canada.   The Switzers are also residents of Victoria.

The first Japanese immigrants came to Victoria about 140 years ago.  Many lived on the West Coast of BC until the World War II evacuation.  The book recounts the story of these families and includes much of the development of the City of Victoria over that period.

As you mentioned at the park, the City of Victoria has a sister city relationship with Morioka in Japan.  This year and next commemorate 90 years since the two countries began diplomatic relations.  Also the summer 2020 Olympic games will be opening in Tokyo.

I am sure many Japanese will be visiting Victoria, and representatives of Victoria's City Hall visiting Japan.   Perhaps this history (in Japanese) might be a welcome gift to Japanese friends from the Capital City of Canada's most western province.

Please let me know how and to whom I should contact at your office.

I appreciate your attention.

Keiko Miyamatsu Saunders

 

〜*〜*〜*〜*〜
 

こうしてビクトリア市長とのやり取りが開始され、最終的に今日10冊のオーダーが入ったのだ。

 

日本からは、色々な目的でビクトリア市の市長を表敬訪問する人が多いため、「今後は当地の日系カナダ史が書かれたこの本を贈呈して、是非カナダの日系人たちへの理解を深めて貰いたい」という市長の気持ちが、後のメールのやり取りでとてもよく分かった。

 

Helps市長の行動力の速さに感謝したい。それにしても何と役職に合った名前だろうか!

 

 

 

 

 



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