ある弔辞

 私には高校時代からの無二の親友で、今フランス(Brou ブルー)のカトリック修道院で尼僧として生活している友人がいます。

 

 昨年12月半ばに彼女から日本の弟さんの訃報が届きました。 とても仲の良い姉弟で、私も「幹夫ちゃん」と呼びながらよく一緒に遊んだ思い出があります。

 

 その後、葬儀には出られない彼女が最愛の弟さんの葬送時に読んで貰うための弔辞が、私にも転送されて来ました。悲しみを抑えながら、それでもユーモアを忘れずに書いた文章が余りにも素敵なため、ここに記して心ある読者の方々と共に「幹夫ちゃん」のご冥福をお祈りしたいと思いました。

 

 姉弟は揃って筋ジストロフィーの障害を抱え、日本と仏国で暮らしていたのです。

 

 

〜*〜*〜**〜*〜*〜 

 

  ひとつのいのちが御国へ旅立っていきました。弟幹夫です。皆様とご一緒に見送ることができないので、ひと言をもって参加させて頂きたいと思います。地球の裏側にいる姉です。

 

 

     私たち姉弟(きょうだい)は、母が仕事を持っていたためもあり、二人でいることが多く、とても近い関係にありました。

     周りのものは私たちを称して「優しく可愛げのある弟と我の強い姉」と言い、それは当たっていました。クリスマスなどにおそろいで色違いのセーターを作ってもらった時なども母の選択は、弟にえんじ色、私には紺色といった具合でした。

 

     一方いたずらにかけて弟は、私の百倍といってもいいと思います。彼のヤンチャは桁外れで、電柱に上って落ちたり、近所のお寺の墓石を倒して手が下敷きになったりなど、年じゅうどこか怪我をしていました。

 

     両親も祖母も既に逝ってしまった今、その頃の思い出を共有するものは誰もいなくなってしまいましたが、この優しさといたずらを混ぜ合わせたエピソードをひとつお分かちしましょう。

 

 

     毎年八幡宮の縁日で弟はヒヨコを買ってもらい小さな電球で温めながら育てていました。もちろん父の助けが相当あったのですが。すぐに死んでしまうのもありましたが、5―6羽は育って立派な若鳥になったものでした。すると彼のヤンチャ気はおとなしくしていられないのです。

 

 よせばよいのにちょっかいを出します。しかしもう立派に育った若鳥は黙っていません。鋭いくちばしで弟への反撃が始まるわけです。可愛いと言えば聞こえがいいのですが、怖がりでもある彼は叫び声とともに逃げます。

 

 そして若鳥はその彼を追いかける靴を抜いで家の中に逃げ込めば一件落着としても、後ろに迫ってくるので靴を脱ぐ時間がない若鶏に追いかけられながら家の周りをグルグル回って「助けてー!」と叫び続けるのでした。

 

     そしてある日、鶏小屋が空になっている悪い予感がよぎるそして夕食の食卓に彼は料理された自分の若鶏を見つけるのでした。始めは食べられなかったがお腹は空くし、背に腹は変えられないというわけでパクっと口に入れる、すると悲しみが込み上げてきて、ワッと泣くこの繰り返しが実に弟らしく私は笑いを堪えるのが難しかったのを覚えています。

 

 

     また飼っていた猫が老衰になり二人でなけなしのお小遣いをはたいて、猫をボストンバックに入れ、犬猫病院に連れていった思い出。帰り道、市電に乗るお金もなくなって本牧から間門を通って加曽台の家まで歩いて帰りましたっけ。この種の思い出は底をつきません。

 

     そして私の発病時弟が示してくれた思いやりと優しさはどんなに大きかったでしょう。更に義妹洋子との出会いと彼らの生活に関してはお分かちしたいことが山ほどあるのですが、洋子さんが恥ずかしがるでしょうから控えます。

 

     不幸にして私たち姉弟は、共に筋ジスと言う難病を持ったため成人して以降の生活は闘病のそれとなりました。奉献生活を選んだ私はともかく、なぜ弟が?と何度も問いかけたものです。

 

 

 彼は私より遅く発病しましたが進行は私より早く、2010年頃には早、気管支切開を云々されるようになっていました。義妹の必至の対処でその後数年間切開せずにやっていきましたが、それも時間の問題でした。

 

  生死を問われるようになった当初、私は遠い地にあって与謝野晶子の詩句『弟よ、君死にたまふなかれ』をよく口ずさんでいました。日露戦争と同時代ではありませんが姉が弟を想う気持ちは同じだったのです。

 

    そして彼の「ただいるだけ」の生活が始まりました。「ただいるだけ」ってどういうことでしょうか?私自身そういう状態に入りつつある今、弟の生き方は私にとって大いに手本となります

 

 

    弟は家族との生活を喜び楽しんでいたようです。なんにもできず世話になるだけだけれど、お前たちと一緒にいたいという姿勢世話をしてくれる家族に委ねる信頼気管切開を決心した時彼はこう言ったそうです。「もう少し頑張ってみるか」と。

 

 いただいた命の尊さを家族とともに生き抜いた彼。苦しい病状にあっても喜びを失わなかった彼です。それは家族の愛があってこそ可能でした。私は弟夫婦やその子供たちを心底誇りに思い、今まで弟を看てくれた義妹と近くにいて世話をしてくれた甥、そして遠くに嫁いで常時側にいられなかったけれど、私への情報提供をこまめにしてくれた姪に心からありがとうと言いたいです。

 

 

    しかしながら「ただいるだけ」だった彼は同時に大きな仕事を果たしました。弟には、自分で何をするわけでもないのに、他を繋ぎ合わせるタレントがあったように思います。私たちがまだ若かった頃からそうでした。私はよく弟の友達を知る機会が与えられ、弟から「○○が姉さんによろしくってよ」等と言われていましたし、特別に近しかったわけではありませんが、私は明るく気さくな彼らが好きでした。

 

  多分この葬儀にもいらしていただいているのではないかと察しますので、お友達の弟への友情に感謝いたします。お世話になり、支えていただきありがとうございました。反対に私の友人たちも同じで、今回、身近な知り合いとして弟の死を悼んでくれています。「幹夫ちゃん」と言って。

 

 

     また教会へ出向くことができなくなってからも秘跡から遠のかないように配慮してくださった教会の皆様、特に飯澤和枝さんに感謝いたします。

     治療に当たってくださった医師や看護関係の方々、在宅看護でお世話になったヘルパーやリハビリの方々に心から御礼申し上げます。

 

     さらには、何にも増して弟に「ありがとう!」と言いたいです。「あなたの存在、あなたの生き方は尊い。ちっともクリスチャン臭くなかったけど、やっぱりキリストの弟子だったね!」と。来るものをすべて受け入れ、苦しみを平和に耐え、喜びを失わなかった家族や周りのものを思いやり、素直に感謝できたのですから !!

 

 

     こうして弟を偲ぶにつけ、昨年教皇フランシスコが出された使徒的勧告 “Gaudete et exsultate(喜びに喜べ)- 現代世界における聖性 - を思わずにはいられません。教皇フランシスコは聖人とは特別な恵みを戴いた、私たちの手に届かない雲の上にいる人ではなく、私たちのすぐ隣で辛苦を共にしている人、愛をもって生きている人だと教えています。

 

 弟は名もなく平凡な一市民としてその務めを果たしました。ですから姉である私は彼をキリストのあかしびとと称して、黙示録にあることばをいただくに相応しいと思っています。

 

 

                        「主に結ばれて死ぬ人は幸いである。

        彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。」

                                                                                                                             (ヨハネの黙示14:13)

今は労苦を解かれて主のおそばで、両親とともに永福を味わっているでしょう。どうぞ御一緒に喜んでください。

                                                             ありがとうございます。

 

                                                                   2019122

フランス、ブルー(Brou)の聖ヨゼフ修道院にて

シスター MS

 

 

 

 

 

 



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