エミリー・カーの波乱万丈人生 (4)


自然あふれるカナダ西海岸が生んだ鬼才の画家/作家
EMILY CARR 18711213日〜194532日)


グループ・オブ・セブン(G7)の画家たちとの出会い
http://www.e-nikka.ca/img_base/10pic.gif

episode 4,5
エミリー・カーの生家のダイニングルーム

episode 4,5
生家の朝食の部屋(卓上に若いころのエミリー・カーの写真が見える)

episode 4,5
生家のリビングルーム 

episode 4,5
暖炉の上の家族の写真

今は、19201979年代のカナダで活躍した風景画を描く男性7人の画家集団、グループ・オブ・セブン(G7=http://www.mcmichael.com/)の存在を知らぬカナダ人はいないだろうし、世界的にも知名度は高い。 

オリジナルのメンバーは、フランクリン・カーマイケル(Franklin Carmichael18901945)、ローレン・ハリス(Lawren Harris18851970)、A.Y. ジャクソン(A. Y. Jackson18821974)、フランク・ジョンストン(Frank Johnston18881949)、アーサー・リスマー(Arthur Lismer18851969)、J.E.H. マクドナルド(J. E. H. MacDonald18731932)、フレデリック・ヴァーリー(Frederick Varley18811969)である。 

後には、1926年にA.J. カッソン(A.J. Casson18981992)、1930年にエドウィン・ホルゲイト(Edwin Holgate18921977)が、1932年にレモイネ・フィッツジェラルド(LeMoine FitzGerald18901956)が 加わった。またもう一人トム・トムソン(Tom Thomson18771917)は、画家たちとの交流はあったが、グループが形成される前に死去している。
この一大組織の画家たちは、保守的で模倣的体質を持つ当時のカナダ芸術に嫌気がさし、グループを結成したのである。 

しかし東部カナダの出身者ばかりであったため、西部カナダで日々忙しくボーディングハウスを営み、芸術とはほど遠い生活に追われていたエミリーが、1927年までその名を知らなかったとしても全く無理からぬことだろう。

そのグループからの、寝耳に水のような展覧会の招待を受けた時のエミリーの驚きは、いかほどのものだったか! 

姉たちから東部行きの了解を取り、出展作品を送り出して後に、エミリーはやる心を抑えながらオタワの国立美術館での展覧会に出席するため意気揚々と出発したのである。
そんな彼女の嬉しさを抑えきれない様子は容易に想像できるが、旅の途中の最も大事なイベントは、トロントで途中下車してG7の画家たちと会うことだった。

「わたしは展覧会を見るために東部に行くのではなく、7人に会って彼らの作品を見たかった」とエミリーはのちに記している。天にも昇るような気持ちを味わいながらも、同時に、長い間、真剣に絵を描くことがなかった自分に急に不安も覚えたのだ。 

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油絵「Arbutus Tree」(1922年)(National Gallery of Canada, Ottawa所蔵) 

トロントでは、まず、A.Y. ジャクソンのアトリエを皮切りに、オタワ行きの次の汽車に乗る数時間の間に、ローレン・ハリスを含む4人に会うことが出来た。

どの画家たちとの出会いも刺激的であったが、特にハリスとの出会いは、エミリーのその後の芸術活動に多大な影響を与えることになる。彼の思いもよらない暖かい歓迎には心底感動したが、オタワに行く時間が迫り、何と言っても時間が足りない。だがハリスは快く再会を約束してくれた。 

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ローレン・ハリスの作品 AGGV所蔵From Berg Lake, Evening #4 in the “Sketches of Mount Robson” seriesaround 1924-1930年)On loan from private collection 

オタワでの展覧会は大成功だった。
いつも見慣れているトーテムポール、カヌー等などの数多くの作品が一堂に展示されていることに驚き、こんなに大きな展覧会への出展は、パリのサロン・ドートンヌ以来だと感慨を覚えずにいられなかった。(オタワ国立美術館は翌年の1928年にエミリーの水彩画3点を購入) 

カナダ西部での展覧会では、思い出すのも辛いほど人々は彼女の絵を嫌い無理解だったが、オタワでは皆が余りにも親切で、かえって気恥ずかしさを覚えたほどだ。
出展作品への評価も、フランスにいた時以来の心地よいものだった。 

この展覧会のあいだ中、エミリーはハリスとの再会を熱望していた。
彼はそれを約束してくれたものの、そのチャンスは是非「西部に帰る前に」と心の焦りを抑えようもなかった。
展覧会の成功にもかかわらず、エミリーはまだどこかシャイであったが、勇気を奮い起こしてハリスに電話を掛け、明後日には西部に戻ることを告げ、その前に是非もう一度訪問したい旨を伝えた。

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ローレン・ハリスのスケッチ AGGV所蔵「Mountain LandscapeGift of Mrs. Peggy Knox
 
トロントで再会したハリスは自宅での夕食に招いてくれ、音楽、絵画の話に時のたつのも忘れたのだが、翌日には再度アトリエに来るように誘ってくれた。
しかしエミリーが、長い間真剣に絵筆を握っていないことに気付いたハリスは、自分のアトリエでは特に何が見たいかを聞いた。


エミリーは「すべて!」と即座に答えた。


彼女の作品展は、オタワの後にはトロントが予定されていたため、エミリーはその評判や作品を厳しく批判して書き送ってほしいと別れる前にハリスに懇願した。 

この刺激的な出会いは、生活に追われて絵を描くことから離れていた15年間の空白を一気に埋めたかのようで、エミリーは東部から戻った3日目に再び絵を描き始めた。(資料によれば、エミリーは「15年の空白」と言っているが、それは精神的には真実であったものの、数は少ないながら制作は続けていたという) 

後日、ハリスから送られてきたトロントでの展覧会に関する長い手紙には、彼が作品にいかに感動し素晴らしかったか、批判することは何もないと書かれていた。
加えて、先住民のスピリットや彼らの人生や自然への思いに対し、「あなただから出来る最も適した方法を見つけ、答えているのではないだろうか」とも書かれていた。 

今まで彼女の作品に関し、他の批評家が書いたような技術的な指摘とは全く異なり、ハリスの手紙には、作品を先住民やカナダと結び付けて見てくれており、その寛大な称賛はエミリーの気持ちを舞い上がらせるに十分だった。 

とは言え、ボーディングハウス経営で家事労働が重くのしかかる日常生活のため、遠出をして絵を描くことは出来なかった。
しかし近場の森には鼻歌を歌いながらよくスケッチに出かけ、またその夏には、以前訪ねた北方の村々や新たな場所に足を運んだ。しかし残念ながらいたるところで先住民の生活に惨めな変化が生じているのを目にしたのである。

博物館が買いあさっていたため、多くのトーテムポールが売られてしまっていた。今や先住民たちは、金もうけのために旅行者を喜ばせるような表面的で意味の希薄なものを彫っていた。 


G7の招待リストに載る
G7の出会いから間もなくして7人の画家たちは、彼女の名前を「招待リスト」に加えることに同意し、その旨を知らされたエミリーは大変に喜んだ。

最初の出会い以後、すぐに始まったハリスとの文通は、途切れることなく続けられ、エミリーは彼から絶え間ないインスピレーションを与えられた。

先住民の村々での変化を書き送った時には、しばらくの間、彼らをモチーフとして使うことをやめるように説得され、自然の中から自分自身のスタイルをもっと学ぶようアドバイスされた。 

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Above the Gravel Pit」(1936年) (AGGV所蔵)

またエミリーは、ただ一人カナダの西にいて孤軍奮闘をしているのに反し、東部の7人の画家たちは、一丸となって活躍しているのを知るにつけ、「とてもうらやましい!」と書いた時には、ここは「おしゃべりが多過ぎる」と嘆き「孤独は素晴らしい」と返事を返して来た。

思えば、孤独はいつも自分で選んだ道だったことにエミリーは気付き、そんなことを言う自分を「年とった愚かな私!」と自嘲した。 

以後、西部での孤立を嘆くのをやめてみると、切り離されていたのがかえってよかったのだと思えるようになった。過ぎし日、外国で学んだものが熟成し、今は当地での見方の中に置き換わり、自分の中に浸透していることを感じるようになった。 

その国を表現するには、長い年月をかけて育み熟成された最良の方法があるもので、それをそのまま新たな場所、例えば新開地のカナダに適合させることは無理があると悟ったのである。

またこうした時期には、例えばアメリカのシアトルから来て彼女と議論したり、絵画の技法を教えたマーク・トビー(1890-1976)のような若い芸術家との交流もあり、エミリーは大いなる影響を受けている。
 
特に日常の雑事から離れることをトビーはエミーにしきりに忠告している。 

episode 4,5
マーク・トビー作 油絵「無題」(1948年) 
AGGV蔵: Gift of Dr. P. R. Dow in Memory of Berthe Poncy


エミリーはハリスに限らず、東部のG7のメンバーや芸術家とも文通を行い、グループ展が開かれた折に3回ほど東部への汽車の旅をした。


(次回に続く)







 


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