エミリー・カーの波乱万丈人生 (5)

    

自然あふれるカナダ西海岸が生んだ鬼才の画家/作家
EMILY CARR 18711213日〜194532日)

ニューヨーク訪問後も絵の創作、晩年は本の執筆に励む
 
EC face
晩年のエミリー・カー,  19341月  (City of Victoria Archives, PR73-4962 M00666)
 
episode 5
 http://www.e-nikka.ca/img_base/10pic.gif生家でエミリーに扮しモノローグをする語り部の Karen Lenz さん
                   (2015年のシーズンは都合により中止)

episode 5
動物好きだったエミリーにふさわしく、生家には19歳になる猫のミスティが飼われている 

そんな折、ローレン・ハリスはエミリーに、東部にいる間にニューヨークに出かけることを勧め、行くに値する町だと強く彼女を推した。

それに対し、最初のうちエミリーは「人間をぎっしりと詰め込んだ大きな町が嫌いなの!」と返事をしている。それでもニューヨークの魅力をしきりに説くハリスは「なぜ?ただ国境線を越えるだけのことだよ」とも言った。 

ロンドンやパリには臆することなく意気揚々と出かけたにもかかわらず、ニューヨークに嫌悪を感じるのは、その欧州での体験ゆえで、「大都会は避ける」という教訓を学んだからだろうとエミリーは思った。

だが今度は、「ほんの短い旅で、一生懸命そこで仕事をするために行くのではない」と自分に言い聞かせた。
そして「見ることが良しとされるそのチャンスを逃さずに実行することを人生のポリシーにして来たはずではなかったのか」と自問し、とうとう大都会ニューヨーク行きを決心する。 

ハリスはエミリーの希望通り、最も現代的な美術を鑑賞することが出来る美術館のリストを作ってくれた。
またニューヨークのモダンアート界を率いる協会の会長に紹介状を書いてもくれたが、この女性の住居を訪ねるまでのいきさつは、後にエミリーが残した著作「Growing Pain」の中に詳しく書かれている。 

そこには、彼女の目を通して見る町の様子や、人間模様が実に生き生きと興味深く書かれており、当時からニューヨークはいろいろな意味で特別の町だったことが分かる。
そしてこの会長との出会いは、エミリーがその後、長い間暖かい気持ちで思い出す出来事の一つになった。 

特に興味深いのはその時の会長との会話である。

エミリーがニューヨークの某画廊を訪ねたとき、ジョージア・オキーフに出会ったことが話題に上った。
ジョージア・オキーフ(1887-1986)は20世紀を代表するアメリカの女性画家で、花や動物の骨など自然界のフォルムを大胆な構図と色彩で抽象化した作品で知られる。

エミリーは会長に「作品の幾つかは美しいと思うけど、彼女が自分の作品について話す時、幸せそうには見えなかった」と率直な思いを伝えている。 

この時のジョージアとの出会いは、エミリーにとっては記憶に残る出来事だったが、ジョージアはどの記録の中にもこのことに触れたものはないという。


評価によっては、現代女性画家の中でエミリーはオキーフに匹敵するともいわれる。 

先住民の教会
エミリーの多くの作品の中でもひときわ有名なものに「先住民の教会」というのがある。

これは、「イースタン展覧会」への出展の誘いを受けたために、搬入に間に合わせようと急ぎ描いた作品であった。景色は西部にあるフレンドリー・コブの先住民の村の海岸に近い灯台からのもので、完成後すぐに送ったのだ。 

episode 4,5
「先住民の教会」(1929年作) AGO所蔵-Bequest of Charles S. Band)

ところが展覧会終了後には、これに3人の買い手が付いたと言う。
 
最終的に誰の手元に渡ったかといえば、グループ・オブ・セブンのローレン・ハリスだと知らされた時には、驚くと共に嬉しさが込み上げとても誇らしく思ったようである。
 
そして数カ月後、エミリーはグループの展覧会のために東部に行った折、ハリス宅でのパーティーに招かれてみると、その作品が美しい額におさまりダイニングルームに飾られていたのだ。


集まった人々は惜しみない賛美の言葉をかけてくれたが、それはトロントに来る2週間ほど前にビクトリアで開催されたある展覧会に、エミリーが作品2点を出展したときの苦い思い出とは余りにも対照的であった。 

その時は、姉たちが展覧会に伴い関連の親睦会を開いてくれたのだが、来場者の誰もエミリーの作品のことは話題にせず、その絵の前でさっと向きを変えて向こうへ行ってしまった。 

しかし驚くことに、一緒にいた姉の一人が絵の前で「私、好きよ・・・」と言ったのだ。
一番気の合わない姉で、今まで一度もエミリーの絵をそんなふうに評価したことがなかったため、彼女は息も止まるほど驚いた。
だが姉はこともなげに一言「額のことよ」と付け加えた。
東部ではこれほどまでに高く評価されるにもかかわらず、故郷の西部では変わらずに彼女の作品に価値を見いだせない人々がほとんどだったのは、何とも痛ましい。 

ハリスは、入手したエミリーの「先住民の教会」について何度も手紙をくれた。
合衆国の展覧会に出した時の高い評価についても送ってくれたのだが、その中で「あなたの絵が一番良かった。でもこれ以上いい作品をもうあなたは描けるとは思いません」とエミリーの能力に限界があるかのごとくに受け取られる手紙を書き送って来た。 

エミリーは激怒し、「私を限定して見ている、もうあの絵についてこれ以上聞きたくない」とその思いをハリスにぶつけた。しかしハリスは「個人の限界を言っているのではない」とし、彼独特の芸術論を展開した。 

こんな経過があっても、二人はその後も思いをぶつけ合い、本音を語り、自由に話す手紙のやり取りを途切れることなく続けたのだ。

そして彼の作品が具象から抽象に変わりつつある過程をエミリーに知らせ、「抽象画は具象画には閉ざされている無限の幅を可能にし、経験の分野が増し、それを大きくする」と、抽象画に関する持論を長々と書き送っている。 

加えてエミリーの絵に対しても「抽象に近いことをして来たではないか」と言い、一歩進んでさらに「絵の本質を抽象化する」ことを勧めている。
 
だが彼女は、自分ではまだ「抽象に対し準備がない」と思っていたようであるが、ハリスの抽象画に対しては「静かで深い誠実さに気付くと同様に、真実にも気がつく」と記している。 

episode 4,5
Abstract Tree Form」(1932年) AGV所蔵 42.3.54. Courtesy VAG)

終焉(しゅうえん)
1933年には、彼女が「エレファント」と命名したキャンピングカーを購入しスケッチ旅行をし、秋にはシカゴでの世界博覧会を訪ね、トロントへの最後の旅にも出ている。

その後の数年はキャンプをしながらスケッチ旅行を試み、習作に励んでいるが、1936年には「Hill House」と呼んだボーディングハウスを貸家にして近所の家に引っ越した。 

この時期の世界的な動きは、スペインの内戦がぼっ発し、イタリアのムッソリーニとドイツのヒトラーが手を結ぶなどして、欧州に緊張が走っていた。
 
またユダヤ人への迫害が増えていることを知り、「戦雲が低くたちこめ、あらゆるものの上にのしかかっている」とエミリーは記している。


この年、三女の姉 Elizabeth が亡くなった。 

episode 4,5
エミリー愛用のキャンピングカー(1934年)  エミリーは「Elephant-鼻の長い象に例えて」と呼んでいた  BC Archives and Records Service : Catalogue #04204 
 

episode 4,5
Above the Cravel Pit1937  (VAG所蔵  Emily Carr Trust)

年代記によれば、エミリーは1937年(65歳)と1939年3月(67歳)に大きな心臓発作を起している。

残念なことに、一回目の発作以降、健康の衰えが始まり、描画より文筆の仕事に比重を置くようになっていった。
入院中にはイギリス人の作家・美術評論家のエリック・ニュートンが見舞い、「ハイウエーを運転しながら、森の中でどっちを向いてもエミリー・カーの絵がそこにあった」と言い、「あなたは西部の精神をつかんでいる」と評した。 

そしてエミリーの手を自分の手に重ねながら「この手は怠けているには余りにも才気があり過ぎる」と励ました。彼のカナダ訪問は英国ロンドンでの展覧会の誘いであった。

「良くなってほしい」と言うニュートン氏の暖かい言葉ながら、エミリー自身は「絵の道具や愛犬を伴ってもう森に行くことが出来ないとしたら、回復したところで何になるだろうか」と自分の健康に懐疑的だった。 

確かに健康には問題があったものの、この間には、英ロンドンのテート・ギャラリー、トロントのAGO(アートギャラリー・オブ・オンタリオ)、バンクバーのVAG(バンクーバー・アートギャラリー)での展覧会も開催され、成功裏に終わっている。


しかし、これでエミリーは創作活動をあきらめはしなかった。絵を描くことは体力的に無理となったところで、今度は作家に転身し物語を書き始めたのだ。 

子供の頃から絵の横に添え書きしたり、ノートを携えて描画の際に感じたことを書く習慣もあり、加えて通信教育で文章の講座も取っていたことで、病気を忘れるために熱心に執筆活動を開始した。(伝え聞くところによると、エミリーの文体は彼女独特の表現があり、またスペルの間違いもあるため、現在出回っている数々の著書を一般読者に読み易くするためには、手を加える必要があったようだ) 

その第一作が1941年に出版された「Klee Wyck」。これは先住民の言葉で「The Laughing One(笑うもの)」という意味である。
昔、先住民の村々を回っていた時の体験がもとになり、病気を得たことで一冊の本として上梓(じょうし)することが出来たのだ。 


episode 5
処女作Klee Wyck」の表紙 National Gallery of Canada and Archives, Ottawa


出版後の反響は著者のエミリーも驚くほどの反響で、出版記念と70歳の誕生日を兼ねて大学の女性クラブの会員が祝賀会を催してくれた。
 
その祝賀会の模様は著書「Growing Pain」の中の「Seventieth Birthday and A Kiss For Canada」に詳しく書かれている。称賛に次ぐ称賛に気恥ずかしさを感じ「贈られた菊とカーネーションの入った箱に顔を隠した」ほどであったという。
 
この本は1941年度のノンフィクション部門のカナダ総督賞を得ている。 

翌年の1942年には「Book of Small(小さいものの本)」を出版するが、戦時中のためすべてのことに引き締めがある時代で、速やかな反響はなかったという。しかし、時が経つにつれ処女作の時と同じように多くの称賛を得たのである。 

この本の出版の後、1943年にモントリオール、トロント、バンクーバー、シアトルで個展が開催され熱狂的に迎えられた。
また1944年には、モントリオールのドミニオン・ギャラリーのマックス・スターン博士が大きな展覧会を準備して60点もの作品を販売している。

どんな状況にあっても描画も執筆も決してあきらめず、不屈の精神を持ち続けていたエミリーであったが、体力的な限界を自覚せずにはいられなかったのだろう。1945年初頭にはハリスを含む合計3人を財産保管人に指名したのである。
 
その年の2月には、バンクーバー美術館で展覧会を準備中だったが、エミリーは更に体調を崩し、生家から2ブロックほどの所にあったセントメアリーズ修道院/病院に入院することを余儀なくされた。

そして春まだ浅い3月2日、その波乱万丈の人生に幕を引いたのである。 

現在、この建物はホテル/レストランになっている。
http://www.jamesbayinn.com/
 
 
信ぴょう性については定かでないが、女子トイレではエミリーの声が聞こえたり、キッチンのお皿が時々カタカタ鳴ったりするなど、彼女の亡霊が出るともっぱらの噂(うわさ)がある。 https://www.youtube.com/watch?v=IV5OWaqOR_k



今は「James Bay Inn」というホテル/レストランになっている 

遺体はビクトリア市の最南端にあるロス・ベイ共同墓地に埋葬され、1981年には写真のような墓碑が建てられた。一番仲の良かった姉 Alice は、エミリーの死後8年目に亡くなっている。 

episode 5

episode 5
五人姉妹のうち一人だけ結婚した Clara はバンクーバーに埋葬されているために墓碑には名前がない 


episode 4,5
墓の周りにはいつも松ぼっくり、花、絵筆、鉛筆などが置かれている 

 

 episode 5
 「Dear Mother Earth」と題するエミリーの言葉が彫られている


「エミリー・カー生誕の家」についての興味深い逸話(201564日 記):
 
歴史的建造物を保存し維持することは、今を生きる人々にとって非常に大切なことは言を待たない事と思う。
それは過去を知ることによって、我々は現在の自分たちの立ち居地を知ることになるからだ。
 
だが、建造物のオリジナリティを大切にして、出来うる限り昔の面影を存続させるにはお金と時間が掛かることは周知の通りで、例え公的機関の力を借りることが出来ても、多くの場合十分ではないことはよく耳にする。
 
だがそこに、歴史があり、歴史上の人物が存在したことを知ることはとてもエキサイティングなことで、後に訪れる者たちに大いなる感動を与えるものだ。この「エミリー・カーの生涯」をまとめるきっかけになったのも、丁寧に保存されているエミリー生誕の家を私自身が訪れたことから始まったのだ。
 
そして私は、その家に住みながらキューレーターとして地道に活動する女性Jan Rossさんを知り、取材にのめり込むほどに、彼女のたゆまぬ情熱に深く感動した。

写真を撮られるのが好きではないということで登場願えなかったが、今冬、生家の床などを中心に大きなリノベーションを施したことで、ビクトリアの某不動産関係の雑誌に紹介されたのでそれを掲載する。
 
episode 5
生家の前と居間に座るキューレーターのJan Rossさん
 
しかし、今はこうして維持することに情熱を傾ける彼女の存在があってこその生家だが、今までには多くの人の手に渡って取り壊し寸前になったこともあるそうだ。
 
その一つにこんな逸話が残っている。

ある日ビクトリアの某レストランで、若い不動産会社の仲間たちがこの家のことを話しているのを、隣でコーヒーを飲んでいたある男性が耳にした。

それは「取り壊してあの土地にアパートを建てる・・・」と言ったような会話だったそうだ。それを聞いた男性はは、読んでいた新聞を即座に置いてその足で銀行に行き、自分の住んでいた家を抵当にしてお金を借り生家を買い取ったとか。
 
後になってその男性は、BC州議員のDavid Groos氏とだったと言うことが後に分かったのだが、その場に居合わせるた偶然と、直ちに起した勇気ある行動が生家を救ったという心温まる話しがある。
 
もしGroos氏がぐずぐずしていたら、今頃ツーリストを乗せて走る馬車の御者たちは「ここはビクトリアが生んだ鬼才の画家エミリー・カーの生誕の家が昔あった場所ですが、今は跡形もありません」と説明しながら通り過ぎていくことだろう。
 
episode 5
生家の前を通るツーリストを乗せた馬車
 
 
 
生家の所有者の変遷やリノベーションに関する記録などについては、以下のサイトに詳細が掲載されている:
 
http://www.bcheritage.ca/emilycarrhomework/issues/owner.htm
http://www.bcheritage.ca/emilycarrhomework/issues/restmain.htm
 
 
 
日本語読者への「エミリー・カーの生涯」の意訳を終えて(2015611日 記):

5月第2週目から、連続5回にわたってエミリー・カーの生涯について書き終えてホッとしている。すでにこの鬼才な画家の家庭、生い立ち、ロマンス、芸術への軌跡や情熱、更には、晩年の作家としての活躍など、その詳細を知っている人多いことと思う。

だが、ごく平均的な話としては、ロッキー山脈から東に行くにつれ、残念ながら、(日本人移住者の間では)ビクトリアやバンクーバーほどには、彼女の知名度は高くない気がする。かく言う私もトロントに住んでいた頃は、ごく一般的な知識しか持っていなかった。

まずエミリーの外見を見ても、目にすることの多い晩年の写真は、どこかエキセントリックで、いつもにらむような目でカメラを見据えており、決してとっつき易い人物とは見えない。そんな外見のためもあってか、ビクトリアに長らく在住している日本人の中でさえ「どこかの国から移民したオバサンかと思った・・・」と言う人もいるくらいで苦笑を禁じえない。

周知の画風といえば、先住民のトーテムポール、天をど突くかと思うほど高い木々、また思い切り枝を張った大木をキャンバス狭しとばかりに描いている。

だが、このシリーズをお読み頂いてお分かりのように、若い頃は普通の静物画などをありきたりに描いていた時期もあったわけだが、私はそこに行くまでの彼女の私的なバックを知るほどに強烈な興味をそそられた。

それは一年前に私自身がトロントからビクトリアに移住し、何度か郊外にドライブしてみると、エミリーが愛してやまなかった吸い込まれそうな高い空、深い森林、怒涛(どとう)渦巻く海辺の景色を目にすることが容易にでき、この自然環境に、時には身が震えるほどの感動を覚えずにいられなかったことが大きいと思う。

また当地には、やはりというか、当然というか、彼女に関する資料や画集が山のようにあることも発見した。

生い立ちをまとめ終えてみたら、更には、彼女が出かけたアラスカにも行ってみたくなり、私は安易な手段だとは思いながらも、クルーズ船に飛び乗ったのだ。

当時の面影は、きっと破壊されているだろうとは当然ながら予想していたが、それでも彼女の体現した世界を身近に感じてみたかったのだ。 


アラスカ:北上するに従って夕日の美しさが際立つ(2015年5月25日撮影) 



アラスカ:下船は出来ないが、甲板からは手付かずの島の風景が満喫できる 20155月25日撮影) 

予想は見事に的中し、ツーリスト用に整備された大型クルーズ船が停泊できる波止場では、エミリーの世界を見ることは出来なかったが、それだからこそ「ああ、エミリーよ!よくぞ100年前を残してくれた!」と、まだ手付かずにある島々を、私は甲板から涙が出るほど感激しながら眺めたのである。

先述のように、今トロントのAGOでは「From the Forest to the Sea : Emily Carr in British Columbia」と題する展覧会が8月9日まで開催されている。ここにまとめた5回にわたるエピソードが、カナダの生んだ鬼才画家の作品を鑑賞するうえで手助けになれば本望である
 
エミリー・カー生誕の家:
Admission:
Adults:$6.75
Seniors/Students:$5.75
Youth(6-18):$4.50
Family:$17.00
Children:5 and under free
Hours of operation
Tuesday through Saturday, 11:00 am to 4:00 pm
May 1st to September 30th, 

Contact:
Phone:250- 383-5843
Email:info@emilycarr.com 

Emily Carr House
207 Government Street
Victoria, BC Canada V8V 2K8

 
エミリー・カーの著書:
*The Complete Writings of Emily Carr: Introduction by Doris Shadbolt 
 Klee Wyck,
 The Book of Small,
 The House of All Sorts,
 Growing Pains,  
 The Heart of a Peacock, Pause: A Sketch Book,
 Hundreds and ThousandsThe Journals of An Artist
 
*Emily Carr : AN INTRODUCTION TO HER LIFE AND ART by Anne Newlands

*Emily Carr: On the Edge of Nowhere by Mary Jo Hughes, Kerry Mason

*Emily Carr: New Perspectives on a Canadian Icon
 
 
日本語訳本(3冊とも上野眞枝訳):

* カナダ先住民物語:原著「Klee Wyck(クリー・ウィック)」の訳
                  エミリー・カー著 明石書房  20026月出版 ¥2160

* エミリー・カー自伝:原著「Growing Pains(青春の苦悩)」の訳 
                  エミリー・カー著 明石書房 20046月出版 ¥4104 

*エミリー・カー 〜野に潜む魂の画家〜:原著「Emily CarrRebel Artist」の訳 
                  ケイト・ブレイド( Kate Braid 著 春秋社  20099月出版 ¥2160
 
 
 
私のまとめたこのエピソード(1)〜(5)のハード・コピーは、ビクトリア市内の以下の場所で閲覧できる。

 Emily Carr House
    207 Government Street
    Victoria, BC Canada V8V 2K8

    P
hone:250- 383-5843


Art Gallery of Greater Victoria
         1040 Moss Street 
         Victoria, BC Canada V8V 4P1
         
         Phone:250-384-4171






 


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