BC州・ヴィクトリア市周辺の春の兆し(2)


梅の木の並木道

去年の今頃はトロントの氷と雪の極寒、-20℃(こんな時の体感温度は−27、−28℃等になったりする)などというのも珍しくない日々を過ごしていたが、今年はヴィクトリア市に国内移住して、冬の暖かさに日々驚愕している。

沢山いるトロントの友人たちに、春の兆しを告げる様々な花の写真を送り続けているが、度が過ぎればこれは嫌味。

何故なら今年も今の時期、彼らは同じように−20℃の日々をを送っているのだから・・・。

と言うわけで、我がblogに載せて沢山の方に目の保養をして頂くことにする。

ここの梅は、日本のとはちょっと種類が違う(土地の人はJapanese Ornamental Plumと呼ぶ)のだが、何とも見事な「梅並木」が街のそこここに見られる。

何の説明も要らない。

ただその見事さを眺め、そして時に、肌に心地よい海風が吹けば、天に舞う花びらを目で追う。

余りの可憐さに思わず手に取れば、ピンクの花びらが何とも愛おしく感じられる。





Ume St.

Ume St.



濃いピンクの梅も見事だが、こうして薄ピンクのを眺めるとまた違った風情で、桜を彷彿とさせる。

当地の桜は3月上旬に開花するとのことだが、いまから待ち遠しい。





 

BC州・ヴィクトリア市周辺の春の兆し(1)

カナダの西海岸に位置するヴィクトリア島は、国内で一番暖かい地域
なのです。


1月末には素晴らしいピンクの花をつけた寒椿が咲き始め、レンギョ、
雪柳、ボケ、水仙、クロッカス、ベビー水仙、クリスマス・ローズ
などなど、春がもうそこまで来ていることを知らせる花が次々と咲き始めます。

そして2月初旬からはピンクの梅の蕾がパッと開き、通りによっては
両側に見事な梅並木が突如現れます。

「息を呑む美しさ」とは、こんな情景のためにある言葉なのでしょうか。




Plum

Plum

Plum

flower

flower






以下の3枚の写真は、拙宅のすぐ近くにある家の前庭です。
まだお住まいの方にお会いするチャンスはないのですが、私は
密かに「日本人か日系人の方だろう」と確信しています。




ちょっと控え目で落ち着いたたたずまいの造りは、何度見ても飽きず
出かけると少し遠回りしてもこの家の前を通ります。

その度に何か心が洗われるようで、私は一人静かにたたずみ、その
雰囲気を楽しんでいます。


flower

flower











 

カナダ・BC州・ヴィクトリア市の元旦


       20日も遅い謹賀新年
  2015年も当サイトをお楽しみ下さい

New years Day
ヴィクトリアの元旦の日の出。
お天気に恵まれ暖かくそれは素敵な一日でした。


New years Day
この穏やかな陽気に誘われて沢山のヨットやカヤックが沖に出て
いましたが、元旦のパーティーの接待に気を取られているうち
に夕方。

ここに写る最後のヨットが姿を消したのは5時近くでした

当地の日没は早く、雨の日などは4時半ごろには
暗くなります。

まだヴィクトリアに移住して8ヶ月。
初めての春を心待ちにしていますが、人によって
は桜は2月末には咲くとか言います。

いまからその日が待ち遠しいです。






 

友人の7年目の命日−Victoria 市にて



yumi san
   トロント エッセークラブ季刊文集『華やぎ』 
        2014年 秋号



今朝私は、数え切れないほどのカモメの大群が、大空を
舞いながら鳴く奇妙な声で目が覚めた。


ゆみさん

急いで居間から外を見ると、驚くほど鉛色に曇った海と
空が目の前に広がっており、天の一角に僅かばかりに陽

ぼ光が見え、これから始まる一日の光明を多少ながら
見せてくれていた。


今日はシェマーゆみさんが亡くなって丸7年目になる。

私はヴィクトリアに国内移住を決めてからこの方、最初の
年の、この日には、必ず彼女の「その場所」を訪れ、一輪
の花を手向けたいと思っていた。


移住以来、当地の多くの日本人移住者とコンタクトを取っ
たが、詳細の情報を得るのは決して易しいものではな
かった。
知ってか知らずか「さあ、分かりませんね・・・」と言う
のが大方の人から得る答えだったのだ。

それでもツテを頼ってコンタクトをし、やっと詳細が分
かったのは命日の
3日前であった。

トロントのような大都会と違い、ヴィクトリアは小さな
街である。全く予想だにしなかったものの、私はすでに
その近くに用事で何度か行ったことがある。

だが今日改めて出かけてみると「ここだったのか!」
という、言葉に尽くせない複雑な思いに駆られ胸が
締め付けられるようだった。



Yumi san

ダウンタウンにある市営駐車場の7階。料金所に働いてい
た女性は、当時すでにここで仕事をしていたとのことで
「覚えているわ・・・」と静かに話し出し私の手を握って
くれた。




その7階まで私は一人で昇り、ゆみさんが最後に見たで
あろう景色を深い溜息と共に
360度眺めた。


Yumi san

yumi

そして地上の「その場所」に降りの植え込みの根元に
一輪の薔薇の花をそっと置いた。


Yumi san

無事に土に還れと祈りつつ・・・。

ふと脇を見ると、見事なほど真っ赤に紅葉した落ち葉が
たった一枚輝いていて、私は「
ゆみさんの変身・・・?!」
と思わず手を伸ばして拾った。


Yumi san

手帳にそっと挟んで持ち帰ったのだが、数日後、静かな
凪ぎの日を見計らって近くの海に流した。


ゆみさん

無事に海に還れと祈りつつ・・・。





 

花一杯の街 - カナダ・BC州の州都 Victoria

青森の街で発行されているタウン誌 
                  「ゆきのまち通信」2014年9-10月号に寄稿





2010年冬季五輪が開催されたヴァンクヴァーは日本人には馴染みの街。人口もBC州の中で最も多く活気があるためここを州都と思う人は少なくない。
だが実は、海峡を挟んだバンクーバー島のビクトリア市が州政治の中心なのだ。




ガーデンシティ(庭園都市)と呼ばれるだけあって、特に夏場は街中に花が溢れ美しい。



5月初旬には1500個ほどのフラワーバスケットが市内の園芸場にあるグリーンハウスで用意され、時期を待って戸外に出される。



天候も安定し花々が無理なく育つ6月初旬に、初めて街灯などあらゆる場所に掛けられるのだが、ゼラニューム、ペチュニアなど約10種類ほどが青空のもと競うように咲く。



ビクトリアの夏は雨量が少ない乾季のため、市は毎日水補給をし、湿度、PH、塩分の割合まで最高の状態が保たれるように配慮する。観光地図片手のツーリストと花盛りの街はヴィクトリアの夏の風物詩だ。



州都とは言え、島には飛行機かフェリーでなければ行けないが、島民は本土との間に橋を掛け島の雰囲気を壊す気は毛頭ない。

また日本の盛岡市とは、当時国際連盟事務次官だった新渡戸稲造博士(18621933)が、国際会議の帰途にヴィクトリアで客死したことが縁で1985年に姉妹都市として提携を結び交流が続けられている。



ヴィクトリアの街の南端にあるDallas Rdは海岸に沿って公園が続く
その一角にある新渡戸稲造博士の記念碑



1985年5月23日に姉妹都市になったのを記念して建てられた


博士の残した有名な言葉
「願わくは われ 太平洋の橋 とならん」が刻まれている




 

ヴィクトリア- お盆の行事

お盆週間が終った日本は正常なジュールに戻り、また忙しい日々が戻ったことだろう。

ここヴィクトリアでも日本人移住者・日系人・カナダ人が8月10日(日)に集まり小さなイベントが行なわれた。
ダウンタウンの一等地で風光明媚な海辺沿いにあるRoss Bay Cemeteryと呼ばれる墓地がその場所だ。

obon

おぼん

墓地は信じられないほど広大(3万4千坪)で、ここには宗教を問わず死者を葬る墓石が並んでいる。

おぼん

その一角には明治時代に日本から渡って来た移民たちが眠るお墓もある。

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1909年の台風で墓地の多くが波にさらわれたとのことだが、1999年には日系人の子孫たちを中心に152人の新たな墓石を建立した。

毎夏お盆の行事が始まる前には皆が協力してお墓を掃除して清める。

obon

またその一角には1999年8月に立てられた立派な慰霊碑もある。





obon

記念慰霊碑の前に人々が集まり、スティーブンストンから招いた僧侶(Rev. Grant Ikuta)が講和を行い、日英両語の読経が青空の下に響き渡った。

おぼん

読経が続くなか参列者は次々とお焼香をする。

おぼん

おぼん


一連の行事の後には、墓地の向かいにあるRoss Bay Villaと呼ばれる集会所の前庭でリフレッシュメントが用意され、盆踊り、太鼓、三味線、日本民謡などが披露された。

obon

日なたに出るとちょっと暑さ(22℃くらい)を感じるが、木陰は海からのそよ風がサワサワと通り抜け、それは居心地のいい午後のひと時だった。

この行事は毎年Victoria Nikkei Cultural Society と Victoria Japanese Friendship Society が取り仕切っているという。
 

広島・長崎に思いを馳せて

毎年8月6日には広島、8月9日には長崎の原爆投下記念日を迎える。

今年広島で行なわれた記念行事は雨に見舞われたとのことだが、日本だけに限らず世界の色々な街でこの日に人々が集い、被災地・被災者に思いを寄せる。

カナダの場合、トロント市で行なわれる記念行事に私は何度か参加したが、今年はBC 州のヴィクトリア市に国内移住したことでここでの行事に初参加した。

日本人、日系人、カナダ人を迎え69年目の記念行事は、ヴィクトリア市内から少し離れたEsquimalt Gorge Park と呼ばれる公園で「Hiroshima - Nagasaki -  Remembered」と題した行事が執り行われた。

以下はその時の写真である。

広島長崎セレモニー
100人近い人の集まり

広島長崎セレモニー
紙芝居風のパペット・ショウも行事の一部

広島長崎セレモニー
日本人の大学生が平和宣言を行なう


ボランティアのフルート奏者


手作りの灯篭が公園の中の湖に流された


しばらくするボートに乗ったイベント関係者(右側に見える)
が、湖を汚さないために灯篭を一つ一つすくい上げて始末する



ふと見上げるとお月様が皓々と輝いていた。
この思い広島と長崎に届け!





 

TorontoからVictoriaへの国内移住記 −4−

Day 10  5月23日(金)

Washington州Seattle付近は、雨の多いことで知られている。
そのためか春の花々は色も濃くまさに春爛漫であった。








アメリカでの最後の夜を過ごした街Seattleの北にあるリゾート地Anacortesを発ち、移住先のBC州Victoria(波止場はSidney)への車による移動の最後の日の朝も予想通り雨であった。

土砂降りとまではいかないまでも、かなりの雨量で名だたる場所に相応しかった。
8:30am出発のフェリーに乗るには1時間前にくること、となっているため、7時半ごろに到着したのだがすでに長い車の列。



それでも次々に車共々乗船し、8時40分には出航することが出来た。

途中でFriday Harborと言う島に停まり、下船する車、乗船する車を裁き、Sidneyには予定より少し遅れて11時半頃に到着した。
Sidneyはすっきりとした青空の見える快晴で、カナダの地に戻ったことが事のほか嬉しく感じられた。



途中あちらこちらを観光で寄り道はしたものの、10日にわたる長旅の合計走行数は5200kmほどであった。

今回の旅を反芻し、消化し直すには正直まだかなりの時間が必要なようだ。
だがこの移動で一番大変だったのは、車で大陸横断した体力的な消耗はもとよりながら、出発までに済ませなければならなかった引越しの準備で、心身ともに力を使い果した直後の旅行だったことだ。

しかし、私にはこの大陸がとてつもなく広いことを知ったのみに留まらず、​新たな人生の幕開けとするために、このトランジッションが何よりも必要だった。
それだけは間違いがない。

車による長旅で一番気を付けなければならない事の一つは「食べ過ぎないこと」だ。
もっとも日本のように行く先々で名物があるというお国柄ではないのだが、それでも食事の量には気を使わなければならない。何もせずにただ車に乗っているのは、神経はつかっても体力は使わない。食べ過ぎたら必ず胃がもたれてくる。

いまや「日本食」が世界の食べ物であることは広く知られているが、日本人が思う「日本食」と外国で広まった「日本食」とには大きな隔たりがる。

しかし何を持って「日本食」とするかは、来る客の好みで決まるのが外国での「日本食」である。
今回の旅でも、「こんな田舎町に!?」と思う所にも「東京寿司レストラン」「わさびレストラン」「ジャパニーズ寿司レストラン」と銘打ってお店を構えているのを何回も目にした。

シェフは東洋系の人以外にはメキシコ人が多かったが、中には「倶梨伽羅悶々」と言いたいような何とも派手な刺青をした若い白人のお兄さんが、店のガラス窓の向こうで寿司を作っていたりする。
興味半分でAnacortesのレストランに入ったが、出てきたものは下の写真のようなもの。トロントにもこの手の寿司を供するところがあるのは知っている。

だが寿司メシが温かく、何とも不思議な感じがするのはこちらが慣れていないからだろうか。
聞けば、ハワイの寿司職人に習ったとか。店は次から次へと来るお客でもうもう超満員であった。










TorontoからVictoriaへの移住記の最後は、食べ物の話で締めくくることにした。

では皆さまお元気で!

                                                               


 

TorontoからVictoriaへの国内移住記 −3−

Day8  5月21日(水)

何度も同じことを思い、同じことを書いてしまうのだが、とにもかくにも北米大陸は広い!
もちろんそれはすでに十分過ぎるほど知っているのだが、こうして日々走りに走り運転をし続けていると、実体験としてその大きさを感じないわけにはいかない。

その思いは、時には「すごいな、この広さだもの、日本のようにコセコセしていなくていいな」と思うのだが、段々疲れてくると「もういい加減にしてよね!」なんてブツクサと文句が出始める。勝手なものだ、と自分ながら苦笑する。

すでにこんな旅を体験した方は、よく「いつまで走っても景色がちっとも変わらない」と言うけれど、そうとも言い切れないことを今回の旅では何度も感じた。

場所によっては確かには30分くらいでは、ほとんど同じ景色が続いているように思える。
だが、それでも今まで緑の畑が見えていたかと思うと急に「no man's land」と言った景色になり、まるで砂漠のように不毛の地になる。

またHWYの右と左では全く様相が異なり、片側は青々とした何かの作物が植わっているのに、もう一方は背の低いセイジの生い茂るドライな土地が目に入る。


加えて何とも驚くのは、こんな人里離れた土地の岩山の上に時々家がポツンと建っており、犬や車が見えたり、煙突から煙が出ていることだ。
何を生業にしているのか、どのような生活をしているのか、どんな人が住んでいるのか・・・果てしなく想像が広がる。







8日目の夜は、オレゴン州とワシントン州の州境にある国道#84からちょっと入ったPndletonという小さな街に泊まった。
HWYからは全く姿の見えない谷間に広がった街である。

聞くところによれば、100年余の歴史がある街と言い、小麦などの農業が産業の中心と言う。
小奇麗ではあるものの、いかにも豊かなそうな街という印象は受けないのだが、知る人ぞ知る街のようだ。

興味深いのは、街中には歴史的な建物が多く、写真のような素敵な家々が幾つも建っていることだ。
HWYのサインを見ただけでは、こんな所にこんな街が広がっているのを想像するのはとても難しい。






だがもう一つのここの産業(?)は郊外に刑務所(↓)があることだ。



ホテルの支配人が言うには、入所している人を泊りがけで訪ねる家族や友人たちが多いため、ホテル業が栄えているとか。

そういえばアメリカのHWYには、時々「刑務所あり」とのサインが見えるのだが、その傍には「ヒッチハイクをピックアップしないこと」と書かれている。
カナダでは(少なくとも私は)見たことがのない標識のため驚いた。


Day9 5月22日(木)

9日目(5月22日)は一路太平洋岸のSeattleに向かって運転した。
HWYから見える標識が、聞き慣れた街の名前になって来たのが嬉しい。

ワシントン州にあるCascade Rangeの山々



今夜はSeattleの近くになるAnacorteというリゾート地に泊まることになった。
太平洋に面した幾つもの入り江にある街の一つで潮の匂いがする。

明日の朝8時半にこの街の波止場から出るフェリーに乗ってBC州のヴィクトリアに行く予定である。
とうとう5000キロに及ぶ車の旅も明日を持って終わることになる。

                              
                               ・・・つづく




 

TorontoからVictoriaへの国内移住記ー2−

Day5 5月18日(日)
Day6 5月19日(月)


トロントを出発して4日目。
引越しに費やした長かった日々の疲れや思いがやっと少しづつ落ち着き、気分的に「観光をしたい!」と思うようになった。

例えトロントの友人たちの思いが「やらずの雨」になったのだとしても(笑)、余りにひどい土砂降りの日々だったことも「観光」という気持ちになれなかったこともある。

しかし今日からは一天晴れ上がりそれこそ観光日和。
有名過ぎて説明する必要もないと思われるSouth Dakota州のMt.Rushmoreに彫られたワシントン・リンカーン・ジェファーソン・ローズベルト各大統領の巨大な顔を彫刻した観光地に出向く。




「一見は百聞にしかず」とは言うものの、余りにも有名で驚くという感覚は改めては沸かなかった。
とは言うものの、丁度、日本の青森と函館を結ぶ「青函トンネル記念博物館」を見学した時に、今日と同じ思いにかられたのを思い出した。
つまり「人間ってこんなことまで出来るんだ!」という心の底から湧き起こる感動である。



ワシントン大統領の横顔。公園から離れた場所から見える


周りには奇怪な岩壁が聳え立つ



人間の「底知れない力」というものを更に深く感じたのは、ここから少し行った「Crazy Horse」というメモリアル公園である。
人と言うのは、一途に思い進むことによって「山をも動かすことができるのだ」ということを改めて思い知ったのである。
そして後世に残すほどの仕事をした人というのは、死してなお多くの人に感動を与えるものだとしみじみ思う。

ここについては日を改めて書きたいと願っている。



この岸壁に「Crazy Horse」と呼ばれたインディアンの像を彫るプロジェクトが進められている。
下の写真は出来上がりの予定像。今は顔の部分だけが彫られている。



宿泊したRapid Cityという街は、Dakota Indianの住む領域である。
西部劇でしか知らなかったマッチョなカウボーイとダコタ族との数知れない物語が生まれたことが自然と納得できる雰囲気が街中に溢れている。

Day 7 5月20日(火)

今日はWyoming州の北西部にあるYellowstone国立公園に車を飛ばした。
当地も世界に名だたる公園で、間欠泉が噴出していることで有名な場所である。



Yellowstone Lakeはまだ凍っている

野生のバッファローが草をはんでいる

いたるところに間欠泉が湧き出している。硫黄の匂いが鼻をつく

ロッキー山脈の分水嶺。雪が残っているために流れを見ることが出来ない




Wyoming州北西部とIdaho州南東部に広がる山脈で最高峰はGrand Teton(4196m)
のこぎりの歯のように切り立った山々が延々と連なる


Idaho州に抜ける国道からの景色である


                                                       ・・・・つづく
                                                


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