TorontoからVictoriaへの国内移住記ー2−

Day5 5月18日(日)
Day6 5月19日(月)


トロントを出発して4日目。
引越しに費やした長かった日々の疲れや思いがやっと少しづつ落ち着き、気分的に「観光をしたい!」と思うようになった。

例えトロントの友人たちの思いが「やらずの雨」になったのだとしても(笑)、余りにひどい土砂降りの日々だったことも「観光」という気持ちになれなかったこともある。

しかし今日からは一天晴れ上がりそれこそ観光日和。
有名過ぎて説明する必要もないと思われるSouth Dakota州のMt.Rushmoreに彫られたワシントン・リンカーン・ジェファーソン・ローズベルト各大統領の巨大な顔を彫刻した観光地に出向く。




「一見は百聞にしかず」とは言うものの、余りにも有名で驚くという感覚は改めては沸かなかった。
とは言うものの、丁度、日本の青森と函館を結ぶ「青函トンネル記念博物館」を見学した時に、今日と同じ思いにかられたのを思い出した。
つまり「人間ってこんなことまで出来るんだ!」という心の底から湧き起こる感動である。



ワシントン大統領の横顔。公園から離れた場所から見える


周りには奇怪な岩壁が聳え立つ



人間の「底知れない力」というものを更に深く感じたのは、ここから少し行った「Crazy Horse」というメモリアル公園である。
人と言うのは、一途に思い進むことによって「山をも動かすことができるのだ」ということを改めて思い知ったのである。
そして後世に残すほどの仕事をした人というのは、死してなお多くの人に感動を与えるものだとしみじみ思う。

ここについては日を改めて書きたいと願っている。



この岸壁に「Crazy Horse」と呼ばれたインディアンの像を彫るプロジェクトが進められている。
下の写真は出来上がりの予定像。今は顔の部分だけが彫られている。



宿泊したRapid Cityという街は、Dakota Indianの住む領域である。
西部劇でしか知らなかったマッチョなカウボーイとダコタ族との数知れない物語が生まれたことが自然と納得できる雰囲気が街中に溢れている。

Day 7 5月20日(火)

今日はWyoming州の北西部にあるYellowstone国立公園に車を飛ばした。
当地も世界に名だたる公園で、間欠泉が噴出していることで有名な場所である。



Yellowstone Lakeはまだ凍っている

野生のバッファローが草をはんでいる

いたるところに間欠泉が湧き出している。硫黄の匂いが鼻をつく

ロッキー山脈の分水嶺。雪が残っているために流れを見ることが出来ない




Wyoming州北西部とIdaho州南東部に広がる山脈で最高峰はGrand Teton(4196m)
のこぎりの歯のように切り立った山々が延々と連なる


Idaho州に抜ける国道からの景色である


                                                       ・・・・つづく
                                                

Toronto からVoctoriaへの国内移住記 −1−

40年余り住み慣れたオンタリオ州のトロントから、ブリティッシュ・コロンビア州のヴィクトリアにいよいよ引っ越すことになった。

5月14日(水)にトロントを発ちアメリカン・ルートを通って一路大陸の西側に。

その足取りを写真とともに追って頂きたい。

Day 1 −5月14日(水)


運送屋のチャリー氏。引越しの前日に来て「これぞプロ!」
という手際のよさでパックをしてくれる



大型トラックがバックアップして建物の入り口に。
4トンの荷物を5時間でトラックに積み終えた



家具の無くなった部屋とは、かくも寂しいものか・・・


「さようなら トロント」40余年住みなれた街に別れを告げる



トラックを送り出した後、私は夫とともにトロントを車で発ち
200キロほど南に行ったオンタリオ州のLondonの街で1泊。
疲れ果てて倒れるが如くの一日目。

Day2 − 5月15日(木)

一路アメリカ国境へ。トロントからは#403−#401−#402から国境のSarniaへ。
しのつく雨の中、四方を大型トラックに囲まれて120〜130キロのスピードで走る
恐怖は言葉には尽くせない。車線が全く見えなくなってしまうこともしばしば。



Sarniaの検問所


車に付いているGPSではとても役に立たない。
雨と周りの車の轟音で案内人の言葉が全く聞き取れないのだ。
IPADにGPSを入れ込んでおいたのが役立ち切り抜ける



地図様様。ページからページを追いながら運転する夫の横で水先案内をする


今夜はLake Michiganの東側にある小さな町のB&Bで一泊

清潔で食事も美味しくホッと一息つくが疲れはまだ取れない



Day 3 - 5月16日(金)

ただただひたすら走る一日。シカゴの郊外を通ってミネソタ州に入る。




今日もまた雨にたたられた一日。
昨日からは#69ー#96ー#94をひたすら走っているのだが、HWYの工事はトロントばかりではなく
何処も延々と続く。その為に遠回りさせられることも度々あり、とにかくGPSが無ければ身動きが取れない。
文明の利器の有難さを実感する!

今夜は#90沿いのAustinと言う街に1泊。


Day 4 - 5月17日(土)

コンピューターに邪魔なメッセージが入ってくるのを「SPAM」と言うが、その由来は何処から来ているかご存知だろうか?
この小さなミネソタ州の町にその答えがあるとは!



今日からは気持ちよく晴れた日になり、運転が大いに楽になった。
今日もひたすら国道#90を西に向かって走った。
「ああ、ああ、ああ、アメリカって大きいな!」もうその言葉に尽きる。

明日はSouth Dakota州のMt. Rushmoreの観光をする予定を立てたため、近くのRapid Cityに泊まることにする。

                                                   ・・・・・続く





 

女優・小説家 岸惠子インタビュー 2014年 bits(Toronto)新年号

keiko kishi


インタビュー記事の載ったbitsマガジン(トロントの日系誌)

浮き沈みの激しい芸能界にあって、60余年もの間輝き続ける女優・岸惠子。戦後間もない1951年に18歳で映画デビューしたと聞けば、今の若者には気が遠くなるほど昔と思われるかもしれない。

だが他に娯楽の少ない映画全盛の時代に次々と話題作に出演し、平成の今でも美女ランキングの上位を占める女優と聞けば、どこかでその年齢を超越した美しい姿を目にした人も多いだろう。


20代半ばでフランスから来日した医師であり映画監督だったイヴ・シャンピ氏に出会い、彼の作品に出演したことから結婚。愛が国境を越えたことで、人気絶頂だった日本での地位を捨て1957年に渡仏した。

一般の日本人には外国旅行などまだ夢の夢、パリまで飛行機を乗り継ぎ50時間も掛かった時代である。

その後の人生は、持ち前の負けん気と一途な頑張り精神で仏語をものにし一児ももうけたが、紆余曲折ののち離婚と言う苦渋の選択を余儀なくされた。

だがその体験をテコに、映画女優、舞台俳優、ジャーナリスト、更には作家としても次々と才を発揮し今なお各方面で活躍し続けている。

また2013年3月には、70歳になんなんとする女性が、世界を縦横無尽に飛び回る敏腕ビジネスマンとの偶然な出会いから恋に落ちる物語『わりなき恋』(幻冬舎)を上梓した。

12歳年下の妻子ある男性との恋は、ただ甘いだけでなく、濃密な関係になるほどに味わう女の哀婉、慟哭、苦悩を深く掘り下げ、また成熟した男女の性愛をも描き切り話題になった。

物語はフィクションながら、華のある人生を真摯に生き抜こうとする作者自身の片鱗が投影されているのは隠しようがない。

だがそれは、永きにわたる人生で、特に近過去40年ほどの間、世界の動きにしっかりと目を据え、そのうねりを敏感に感じ取る身の施し方を自らに課した作者だからこそ書けた小説と言える。

近年は活動のベースを日本に移し変わらずにフランスと日本を往復している。


インタビュー

小説『わりなき恋』が大変な評判ですね。


−嬉しいことに9刷19万部も出ており、中には7回も読んだという人もいるほどです。草稿中は夜中に目が覚めメモを取ることが何度もあるほど文章を推敲しました。

分別ある大人の2人がお互いに惹かれたらどうなるか。恋する者のはかない感情の動きを描く一方、成熟した男女の関係を、19世紀の画家クリムトの官能的な画のように私流の日本語で書きたかったのです。

でも人生経験の少ない若者や週刊誌などは、不倫小説としてそこだけを切り取って紹介してましたが、私はそんなちっぽけな枠のチマチマしたことを書いたわけではありません。

第一恋とは非常にもろいもので、倫も不倫もないと思っています。器物損壊罪があるなら、あれは立派な作品損壊罪ですね(笑)


小説は、1968年の「プラハの春」から2011年の「アラブの春」「東日本大震災」までの世界の動きを絡ませ、読む側には幅広い知識が要求されます。また外国生活を体験した者でないと分からない思考回路も見えました。

−日本人はとても優しいので日本だけに住んでいると外からの刺激が少なく、いわゆる「試される」というような体験をせずノホホンと生活しがちです。

私は日本人で外国住まいの方を沢山知っているのですが、皆さんその点を指摘され、将来この本を仏・英語に訳して外国にも紹介して欲しいと言われます。


今の日本は若者文化が全盛で、成熟した大人の物語が少ないように思います。

−テレビや映画の中の若い人たちはお洒落でスタイルもよく素敵なのですが、みな同じに見えてしまいます。作品でいいものもありますが私には物足りない。反面話題が高齢者になると、一気に孤独死など人間の残骸かと思うような映像ばかりです。

もちろんそうした現実はあるにしてもそれでは余りにも暗すぎます。人生の終盤に虹が立つような華やぎがあってもいいのではと想いこの小説を書いたのです。

映画化は?

−希望は持っています。自分で演出したいですが、残念ながら今スターと呼ばれる日本の女優の中に、言葉を介 し国際感覚を持ち、外国の土壌を物怖じせずにさっと歩ける人はいません。

長い間パリをベースにした後日本に戻られました。2つの異なった世界での体験は岸さんの中でどのように共存しているのですか

−24歳で結婚のためにパリに行きずっと拠点にしていましたが、母が亡くなってから66歳で日本に戻りました。私の中では魂は日本、エスプリはパリ的ではないかと思っています。

日本での生活では仏語を使うことが少ないですね。どのようにキープしているのですか。

−とても難しいです。結婚で渡仏した後、とにかく懸命に綿密に仏語を勉強しました。でもどんなにやってもそ こで生まれ育った人にはかないません。

深い思いの伝達には歯がゆさを味わいます。その分日本語に対する思いは日本で暮らす日本人より深く募っていったし、言葉というものにとても敏感です。

日本語にそんな思いがあるのですね。今後のご活躍をお祈りします

(インタビューは、2013年8月に朗読劇『蝉しぐれ』(藤沢周平作)の舞台稽古進行中の横浜・関内ホールにて行われた。日本各所での2ヶ月余りの上演は大喝采で迎えられ、10月半ばに大成功のうちに幕を閉じた)


keiko kishi   
横浜・関内ホールでの朗読劇の案内

keiko kishi
インタビュー後に小説「わりなき恋」にサインをお願いする



 

アイス・ストームに襲われたカナダ東部

カナダのオンタリオ州から東部にかけては、昨夜からスノーストームに見舞われ、クリスマス前の最後の週末にショッピングに追われる買い物客の足を奪った。

以下の写真はトロント市のダウンタウンの風景。郊外はもっと大変な光景が繰り広げられている。

ice weather

ice weather

ice weather

ice weather

ice weather






            




               
トロント周辺は現在250万所帯ほどが停電している。氷で木々の枝々が折れ電線を直撃したなどの被害が各所で起こっているからだ。
クリスマス当日までにはまだ2日あり、市は復旧に躍起になっているが、定番のクリスマス・ディナーのターキー(七面鳥)がオーブンで焼けるか危ぶむ声も聞かれる。

トロント郊外のスカーボロという地域に住む友人は、目処のつかない停電の復旧工事の犠牲者。自分の住む近所の家族数軒と、小さな卓上ガスコンロをシェアしているとのことだ。


 

世界中に知れ渡った悪名高いトロント市長

昨今トロントでは、来る日も来る日も「BobFord ボブ・フォード」という名前を見聞きする。もう「耳だこ」の状態だ。
何故? 世界中に流れたニュースのためもう知っている人は多いと思う。

理由は商工業の中心地であり、カナダ最大の都市であるトロントの市長が幾度となく麻薬(crack)を使い、飲酒運転をし、女性に大変に不適切な暴言を吐き、さらには、娼婦との関係も指摘されているからだ。

この春トロント最大の新聞トロントスター紙が、あるパーティーで市長が麻薬を使用しているのを隠し撮りしたことから徐々に大きな問題になってきたのだ。

しかし市長はそれを隠蔽し、嘘を付き通し、ニュースを追うメディアに暴力まがいの行為を繰り返し・・・・・といった日々が続いた。

だがここに来てトロント市の警察庁長官が、市長が確かに麻薬を使用したことを認めたことを公表したことで問題が最高潮になったのだ。

これを受けて市長自身が麻薬の使用を認めたのである。

ニュースは世界を駆け巡り、CNNのアンカーマンであるアンダーソン・クーパーなどは、ハリケーンの取材のためにフィリピンに行っているのだが、その中継地から首を振り振り「I don't believe it !」を繰り返し、「アメリカだったらいまだに市長の座にいることはありえない」と言い切る。

またアメリカの他のTV局も日々このニュースを追っており「Unbelievable」を繰り返す。

だがこんな市長でも「私たちが選んだ人だからサポートする」と言うトロント市民もいて、人それぞれの思いが交差する。

しかし問題は、彼を辞めさせる法律は存在しないとのことで、日々の取材攻勢で疲れ切っているもののこの週末(16,17日)現在では、こうした扱いを受けていることに対し市長は「法廷で戦う」と公表した。

この週末は子供のための「サンタクロース・パレード」がトロント市内の目抜き通りで開催されたが、さすがに例年のように出席することは控えた。

市長もメディアも「Still fighting to fight」 が続くことに間違いはない。



日々Bob Fordの名が載らない日は一日たりともない新聞
B. Ford

B. Ford

この「太りじし」の姿がメディアに登場しない日はいつのことだろう(↑↓)

B. Ford

妻も出席してのニュースコンフェレンス
娼婦との関係を指摘された後「我々夫婦の結婚は何も問題がない」を繰り返した
B. Ford

金曜日(15日)の市庁舎でのセッション
出席して成り行きを見たが、次々に動議を進めていたものの、取材しているメディア
や公聴している人々からは度々野次が飛び、嘲笑が聞かれた(中央奥の左側に立って
いる男性が市長)

B. Ford

セッションが行われる市庁舎内の壇上
B. Ford

トロント市庁舎、中では日々市長とのバトルが繰り返されている
B. Ford

京都の銘菓「やつはし」に似たトロント市庁舎
B. Ford

市庁舎前にあるヘンリー・モアの彫刻
B. Ford






 

芸術の秋 〜催し物の多いトロントの街〜

トロントの秋はカレンダー通り9月中ごろから始まり、紅葉が最高潮になるのは、その年の夏の気候などが影響するものの、トロントの秋色は10月中旬まで続く。

秋色

今年も例外ではなく、9月のトロント映画祭が終わる頃には北の方から見事な紅葉の便りが聞かれ始めた。日本のような繊細な色づきが少ない反面、ダイナミックさにおいては大変なものである。

秋色

この時期になると、大昔NY州のウッドストック(そう、あのウッドストック!)で見た燃えるような紅葉が思い出され、カナダのそれと頭の中でオーバーラップする。



この季節は「芸術の秋」の名に相応しくトロントの街中は一気に文化的な催し物が多くなる。そんな幾つかを写真とともに追ってみよう。


作家
サイン会の川上恵美子氏

まず10月末には日本からは安部和重氏と川上美恵子氏が、トロントで開催された「ハーバーフロント国際作家大会」に参加した。この催し物はすでに20数年以上続いているもので、毎年世界各国から招待された作家が、自身の作品を何の装置もない舞台の上で朗読し、聴衆はその物語に聞き入りその後にサイン会が行われるのだ。とても地味ながら作家とともに非常に心豊かな時間が過ごせるイベントである。

作家
サイン会での安部和重氏

日本からも今まで何人かの作家が招待されたが、著書が英訳されていることが条件なため、選出には限りがある。私は出来るだけインタビューを心がけてきたが、その中で今でも忘れられないのは、津島佑子さんの「ただ作家が自分の作品を舞台で朗読するのを聴衆が静かに聞き入るというこんな地味なイベントに、トロントではこれだけの人が集まることに驚きます。これは社会が成熟していなければ出来ないことですね」のコメントだ。
今年の出席者は安部和重氏と川上美恵子氏。作家大会の後には、トロントの北方にあるヨーク大学と、トロント国際交流基金で文学対談が開催された。

作家大会
通訳・川上未映子氏・安部和重氏・ヨーク大学教授 テッド・グーセン氏
トロント国際交流基金にて


両作家は夫婦揃って芥川賞受賞という快挙を成し遂げたことでとかく話題になることが多い。しかし311日以後の作家活動を中心に話す言葉や、小津安二郎の「東京物語」を見てのコメント、夫婦共々の作家活動と子供のいる日常生活などを語る言葉にてらいや気負いはなく、「地に足の着いた作家」という感想を持った。
また安部氏の妻を一人の女性として作家として心から尊敬している眼差しが温かく快かった。



文学と言えば、今年のノーベル文学賞はカナダの女性作家アリス・マンロー氏(82)に決まったことは本当に喜ばしいことだ。毎年ながら有力候補として噂の高い村上春樹氏がまたしても選に漏れたことは村上ファンをさぞがっかりさせたことだろう。マンロー氏は同賞を受賞する13人目の女性で、もちろんカナダの作家としては初めての人である。

「短編小説の女王」と称されるが、以下はカナダの新聞に受賞後すぐに載った短編の一つである。子供の頃に起こったある出来事を分かりやすい文体で淡々と書いている。育った田舎町での出来事、その時の自分の家族のあり様、またごく一般の人々の普通の生活をかくのだが、観察力の鋭さがそこここの文体に現れている。
学生結婚、子育て、再婚などを経験しているが、別れた元夫はいまでもBC州・ビクトリア市で本屋を経営している。
アリス・モンロー
BC 州 Victoria市にあるMunro Bookstore
今は別れた元夫が経営している



この時期は講演会も多く催されるが、出席した一つは「
Women’s Human Rights: Comfort Women’s of WW2’ in Asia」で、元慰安婦であったフィリピン女性Lola Fidencia Davidさん(86)を囲んでの集会であった。

フィリピン慰安婦
フィリピン元従軍慰安婦 Lola Fidencia Davidさん

フィリピン慰安婦
フィルムでアジアにおける第二次世界大戦の歴史を振り返る


彼女は14歳で住んでいた村の家を日本軍に焼かれ、また日本兵に10日間レイプされ続けた経験を持つ。2007年にカナダ連邦政府は、日本政府による正式謝罪を要求する動議を通過させた際にもカナダを訪れている。
トロントに慰安婦が訪れるごとに行われるパターンは、学校を廻り、戦時中の日本軍のアジアでの暴虐をまとめたドキュメンタリーや元慰安婦の活動などを映いたドキュメンタリーを上映し、その後彼女たちをサポートする若いアクティビスとたちが通訳して、本人が実体験を語るのだ。今回もLolaさんの涙ながらの話をフィリピン系カナダ人の女性弁護士が通訳をした。

Lolaさんはマニトバ州のウィニペッグに人権博物館が来年設立されることを受けて、今回は当市にも訪問したと言う。ここには元慰安婦の記録も展示される予定と言う。
 
フィリピン慰安婦
韓国系カナダ人のアクティビストの一人



映画関係ではHuman Rights Film Festival 10月末に3日間に渡って開催され、北朝鮮関連の映画9本が上映された。この中には、すでにトロントでは何回も上映されている横田めぐみさんの拉致問題を扱ったフィルムもあった。

人権映画

中でも「Camp14Total Control Zone」は、想像を絶する北鮮の刑務所を脱獄した男性の体験談を、動画と写真を交えながら見せるフィルには衝撃を受けた。

人権映画

私は以前トロントにある脱北者のコミュニティーが催した写真展を見たことがあるが、やはりフィルムはまた更に壮絶さが伝わる。フィルムを制作したのはアメリカ人のドキュメンタリー作家で、上映後スカイプを繋げて彼とQAの時間が持たれた。

?
フィルムメーカーとスカイプを使ってQ&A

この脱北者は、今は米国に住みながら世界各国の人権に関する会合などに出席して北朝鮮の現実を訴えている。しかし、物の溢れる資本主義社会の北米の生活を体験した後のコメントは「時には昔の生活が懐かしく思い出される」と言うものだっのが興味深かった。


紅葉
夏の名残のバラが一輪ひっそりと咲いているのが目に留まる

まだまだ幾つもの催し物が開催されているトロント。秋は本当に忙しい。



 

Toronto International film Festival (TIFF) トロント国際映画祭


毎年この時期に開催されるトロント国際映画祭が終盤を迎えている。


街中では終日あちらこちらの映画館が貸切になり、世界各国からの映画がスケジュール通りに上映されている。


TIFF


今年は全12作品の日本映画(合作も含)が上映されている。




昼間はもちろんだが、夕方になると更に勤め帰りの人々が続々と集まり、映画館の周りを取り巻き入場出来る時間まで辛抱強く待っている。


TIFF


今週初めには、トロントの国際交流基金で日本映画の監督を招いてレセプションが開かれた。


TIFF


話題の新作「そして父になる」が期間中2回上映されたのを受けて、是枝裕和監督(51)も登場し万来の拍手で迎えられた。


TIFF


是枝監督はトロント映画祭出席の常連になっていて毎年来加される。


今年5月のカンヌ国際映画祭で初披露され、審査員賞、エキュメニカル審査員賞特別表彰受賞し、上映後にスタンディングオベーションが10分も続いたという映画の、北米での配給が決まったとのこと。


映画祭期間中に見られなかった人は、その内に一般の映画館で上映されるのを待てば鑑賞できるのが嬉しい。


友人の中には映画祭での上映を見たくて、雨の中2時間半も待って切符を手に入れた、などという人もいて人気の程が伺える


TIFF


『誰も知らない」『歩いても歩いても』など話題作の多い監督だが、まったく気取ったところはなく、誰とも気軽に話したり記念撮影に応じていた。


TIFF


いまや超有名な監督ながら、数年前に初めてトロント映画祭に出席したころは、映画の買い付けがなされるプロセスを初めて見て驚いた、などの逸話を披露していた。


来年はどんな作品を持って来てくれるのか今から楽しみだ。







岸惠子著「わりなき恋」に思うこと

 岸惠子

去る5月この小説の女主人公と同い年を迎えた私には、またとない誕生日のプレゼントとして、よくぞこの時期に上梓してくれたと思えるのが、岸惠子の最新作「わりなき恋」である。


一生に一度しかない今この時に巡り会えた珠玉の一冊。しみじみと心に残り、その余韻に浸っている。

本の題名は、古今和歌集のなかで詠まれたものから由来するとのことで、古典などに余程の造詣がなければ、すんなりと理解するのは難しい。

「わりなき」とは「理屈や分別を超えて、どうしようもない」ことを意味するという。物語の主人公は70歳になんなんとする女性で、彼女とは一回りも年下の妻子ある男性との「どうにもならない恋、苦しくて耐えがたい焔のような恋」を軸にした、切なさが身にしみる話である。

と書くと、口さがない人からは「老いらくの恋」とか「年甲斐も無く」とか言われそうだが、そんな安易でチープな言葉をもって評しては、作者が数年も掛けて言葉を選びぬいて書いたその思いを冒涜するような気がする。

 

物語は、パリ行きのファーストクラスで席が隣だったことで知り合った男性と、政治、文学・美術・歴史・映画・音楽・・・などなど、人生に彩りを添えてくれるありとあらゆる領域でお互いの知識や体験を分かち合い、共感し、逢瀬を重ねることで関係を進展させていく。

女性は国際的に活躍するドキュメンタリー作家、男性は世界を縦横に駆け巡る一流企業の役員という設定だが、齢を重ね、多くの人生経験を積んだがゆえに厚みのある人間味が光る2人。

世間に氾濫する男と女の「不倫物語」とはまったくレベルが違うことを、読むほどに読者は知ることとなる。

かと言って岸惠子の筆は、主人公の70歳からの恋心を、そして久しぶりに眼の前に表れた男性、九鬼謙太との性愛を、甘い砂糖漬けのようなきれいごとに終わらせてはいない。

30代半ばで夫を飛行機事故で失ったヒロイン笙子は、50代にしか見えないというものの、相手もまた60を目前の男性。年齢からだけ見れば、すでにシニアである二人の交わす最初の情交は、男が巧みにリードはするものの、30年余年という『かくも長き不在』によってすんなりと彼を受け入れはしなかった。

彼女はその夜の思いを『抗(あらが)うというよりは恥を掻きたくなかった。女としての体がむかしのままでいるわけがない。それを知りたくなかったし知られたくなかった』と述懐し、

 まろまろと昇る月見てもどり来ぬ  狂うことなく生くるも悲劇

と『ある歌人の肺腑を抉(えぐ)るような叫び』の詠を思い出しながら、まんじりともせずに夜を明かす。そして『不眠の一夜のなかで見つめた女としての凋落の淵』は残酷なほど彼女の心に深く刻まれるのである。

しかし女体とは不思議なもので、兼太への信頼が深まるにつれ、また一段も二段もハイレベルな、社会的地位のある洗練された男女の高尚な関係が円熟するにつれ、堅い蕾が一枚また一枚と開花するように笙子は彼の懐に擁かれていく。

それは時を経るごとに『その夜、汗ばんだ九鬼の裸体に抱きこまれ、細い腕を背中に回して、喘ぎながらも、不思議なほど体がリラックスしていた。記憶のなかにこれほど、解け切った自分を意識したことはなかった。すこしの抗いもない自分を笙子は九鬼にゆだねた。』となり『力の抜けた体は、亜熱帯に咲き乱れる、怪しい露を滲ませた野生の蘭のように九鬼の体を搦めとった。痛みも気おくれもなく、朦朧のなかに震えて、溶けた。』とまで変化していくのである。



物語の流れは、笙子自身がその時ヨーロッパにいたことで目にした
1968年の「プラハの春」から、2010年に起こった「アラブの春」までの42年間の時の流れを巧みに取り入れ、最後には、日本で2人が共に体験する20113月の東日本大震災をも織り交ぜ、余すことなく読者を引き付けていく。


結末を書く無粋は控えよう・・・。

 

Keiko Kishi


さて
その文章はといえば、岸惠子が10年前に書いた小説「風は見ていた」(上下巻)を読んで、友人の一人が「とても気になって仕方がない!」と言った『人懐っこい眼で彼を掬(すく)いあげるように見た』のような、持って廻った彼女独特の言い回しは今回もそこここに見られる。

『六十がらみの女性オーナーがざっくりとくだけた笑顔で迎えてくれた』

『胸の奥に粟だったざわめきが揺れてきた』

『シャッターを閉め忘れた寝室の窓から夜が剥がれていく。黒い大きな翼をひろげていた重たい夜が藍色に変わり、茫々としただいだい色のほんのすこしの光が入り始めた』

『こぼれたほほ笑みに女が咲き、その花びらの影に彼女特有の慎まったさびしさがあった』

『舞台装置のようににぎにぎしい光の洪水を浴びせられて迷惑そうに身を捩(よじ)る。ざわざわと風にも煽られて、葉群れの間に影が宿る』などなど。

すんなりとは読めない修飾語の羅列は、確かに重過ぎる感を抱かせはするものの、それが彼女の持ち味であり、物語を運ぶ巧みな文体にはこの作家の非凡な才能が光る。

5年にわたる笙子と兼太との濃密な関係は、著者の実体験にフィクションを加えての物語であろうことは疑う余地がない。しかしそんなことは重要ではない。

この中身の濃さは、国際社会を習熟し、広い視野を持つがゆえの深さであり、その人生体験によって積み重ねてきた洗練された都会的センスに溢れた岸惠子だからこそ書けたものだろうと思う。

それは取りもなおさず、読者にもそれ相当の教養を要求されることになり、さっと読み流すことは到底出来ない。

加えて、彼女が書くエッセーや小説をとことん理解する上で大事なことは、書くものすべての根底に、常に見え隠れする“孤独と対峙して生きる”と いう普遍のテーマがあることを熟知する必要がある。

 


私は、知る人ぞ知るエッセイスト・小説家としての岸惠子の大ファンである。

拙著「日本人の国際結婚 〜カナダからの報告〜」(彩流社)には、かなりのページを割いて、彼女の書いたエッセイーの中から共感する部分を引用させてもらい、また僭越ながら一冊進呈させて頂いたりもした。

岸惠子



八十路の実年齢とは関係なく、陳腐な言い方ながら「華やか」という印象がぬぐえない岸惠子。


その彼女が、ここまで書き込んだ小説ということで、巷には驚嘆の声が聞こえるようだ。しかし私には、その歳だからこそあえて挑むことが出来た彼女の心意気といさぎよさをひしひしと感じるのである


そんな彼女と私の小さな共通点は、「横浜生まれの横浜育ち」ということ。

描かれる街々の風景、嗅覚をツンと刺激してくれる快い匂いのような流れ、そこに垣間見られる人々の営みに繋がる日常の折々などが手に取るように感じられることが、この小説になお一層の親近感を持たせてくれたことは否めない。



将来もしこれが映画化されるとしたら、笙子と兼太を演じられる俳優は一体誰だろう・・・。









Vancouver Island への旅 (下)

 

今回のVancouver Islandへの旅では本当によく車を走らせた。
2週間で4500キロを優に超えた事を思うと、とてつもなく乗りに乗ったことが分かる。

この島を余り知らない人は、「Island」ということで小さな島を想像する人は多い。

だが、南端のVictoria(BC州の首都)から北端のPort Hardyという町まで舗装されたハイウェーを走り抜くだけで500キロ余りある。

加えて、Port Hardyの更に北には砂利道が続き、まだまだ奥まで走れるものの、その向うは人の踏み込めないジャングルのような森林地帯が広がるのだ。

となると、一般の人が車で訪れることが可能な北端の町は、このPort Hardyということになる。

島は林業が盛んなため、ハイウィェーを走っていると木材を満載したトラックを頻繁に見かける。そのスピードやサイズを身近で感じると、追い越すときなどにはちょっとしたスリルと怖さが交互する。

port hardy

だが「北端の町」とは一体どんな様子かを知りたいという好奇心があったことで、一日車を飛ばしてみた。

途中小さな町々に立ち寄ったものの、とにかく走りに走ったのである。

そして到着した町は、想像していたより小奇麗で、林業、鉱業、漁業が町の産業だと言うことがわかった。

もちろん15分も車で走れば廻れ切れるほどの町だが、メインストリートの一角をふと見ると、「和」と書かれ、二本の手がしっかりと握手して日本とカナダの旗がそれぞれに描かれた看板が目に入った。

port hardy

更に行くと、図書館、土地の歴史を紹介する小さなミュージアム、市役所のある通りへと繋がり、そこには海に面してかなり大きな公園があった。

驚いたことには、その真ん中ほどにさっき見た「和」と言う文字と同じ形をした彫刻がみえるのだ。


port hardy

説明を求めるために急いで市庁舎に行ったが、すでに5時を廻っていたことから、皆家路につく時間で2人ほどが入り口にいるのみ。

経緯が書かれた一枚のパンフレットを貰ったが、誰からも話を聞くことが出来なかった。

port hardy

そのパンフレットによれば、このPort Hardyと北海道にある沼田市とは姉妹都市の提携が結ばれている由。

1994年からその関係は継続されているとの事で、10年目にあたる2004年4月には、沼田市長と一行がこの町に来て式典が開かれたと言う。

数字はちょっと古いが、1993年から2009年までに、沼田からは127人が、またPort Hardyからは68人が沼田に行っている。

長い友好関係にあることは喜ばしいし、高校生たちやその関係者の交換が定期的に行われ、有意義な関係が保たれていることは素敵なことだ。


続いて驚いたのは、この島の、この最北端の、この小さな町にも「Japanese Restaurant」のサインが掲げられているのを見たときである。

もちろん日本食がいまや世界の食べ物になっているのは広く知られていることで、日本人以外のオーナーシェフたちが頑張っている姿はあちらこちらで見かけられる。

port hardy

ちょうど夕食時であったため、ここで食べることにしたのだが、正直言ってお味の方は「!?」であったことだけを記しておこう。

ちなみに上の写真の丼物は、メニューによると「チラシ寿司」とのことで〜す。








Victoria Island (BC州)への旅 (上)

11年半振りに、4月の初旬から2週間ほど公私の用事でブリティッシュ・コロンビア州のヴァンクーヴァー・アイランドに出かけた。

カナダの面積はロシアに次いで世界で2番目に大きな国であることは知られている。

であれば、東海岸側、中央に位置する各州、西海岸側など、各季節の訪れの時期がそれぞれ異なるのは当然だ。

それは分かっているのだが、トロントがまだ寒さに震えている時に、ブリティッシュ・コロンビア州の州都であるビクトリアなどは花盛りで、その暖かさと、街中の景色の美しさ、加えて清潔さに驚愕した。



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以前訪れた場所の記憶が大分薄れていたためと、春の訪問が初めてだったことで、何とも楽しい旅だった。






何処もここも花一杯のビクトリアの街中!



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フィロデントリウムも最盛期を迎えていた。

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大好きなユリ。首もとに幾つもの花を付ける種類。

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野生のラッパ水仙の多さに驚く。


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島にも、またヴァンクーヴァーを遥かに望む景色にも、高い山々が連なっているのが見える。

そのため山の壁面にぶつかった雲が、急に雨雲に変わりにわか雨を降らせることが珍しくない。


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ハイウェーを運転していても、急な土砂降りに見舞われるかと思うと、数分後にはパッと晴れたりする。
一日の内に何度もこんな経験をする。


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友人宅のテラスから見渡せる海あり、山ありの景色。
トロントとはだいぶ違った風景だ。

しかし、のんびりとしてゆったりとした人々に好感は持てるものの、トロントで感じる「都会的な文化」の雰囲気はない。

ここの文化はやはり「自然」であることを改めて感じた旅だった。








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