爽やかでカジュアルな2人

 
とにかく一言でいうと、「爽やかでカジュアル」という印象がピッタリの2人であった。

将来、英国の国王になる「ケンブリッジ公」とその新妻である「ケンブリッジ公妃殿下」のことだが、こんな堅苦しい呼び名より「ウィルとケイト」と呼ぶのが最も相応しい。

先週末までカナダを訪問していた。

ウィル&ケイト


4月29日に結婚してからまだ2ヶ月余り。初めての外国訪問にカナダを選び、6月30日にオタワ(首都)入りしてから、1週間余りの間に数ヶ所の街を訪れたのである。

ローヤル・ワッチャーと呼ばれる熱狂的な(主に)白人のファンから、ヴィジブルマイノリティーまで、大変な数の人々が「一目見たい!」と2人の行く先々に集まった。

ウィル&ケイト

そして、この2人を追う世界各国からの報道関係者の数は、なんと1300人余りだったとか。もちろん、日本からも来ていたことは言うまでもない。

このニュースを見ながらつくづく思ったのは、英国のエリザベス女王のように女性が君主の場合は別として、洋の東西を問わず「妃」というのは、どの国の王室でも同じで「刺し身のツマのような存在」なのだということである。

しかしこれは非常に「重要なツマ」で、これがなければ例え刺し身がどんなに立派でも、皿に盛ったとき形が安定しない。
それが「妃」という人の役割なのだ。だから王室、皇室というのは一組の夫婦、つまり「カップル」として存在することで意味をなすと言える。

ウィル&ケイト

特に外国を訪問する場合はそれが顕著で、「〜国王」「〜天皇」「〜公」「〜皇太子」などの男性たちは、役割上欠かせないながら、何といっても「華」を添えるのは妃であって、2人揃ってこそ親善訪問が成り立つのである。

どんなタイトルが付いた高貴な男性でも、その人だけであったら、迎える方の気の入れようにも違いが出てくるのではなかろうか。

今回のウィルとケイトのカップルを見てつくづくそれを感じ、また2年前の夏に日本の天皇皇后両陛下がカナダを訪問された時、取材で追った日々にも強くそれを思ったものだ。

 そして妻なる妃は、夫と行動を共にする場合には、自分の意思を表明するようなスピーチなどをすることはない。
となれば、彼女がどんな洋服を着、靴を履き、バッグを持ち、帽子をかぶるかがメディアの最大の関心事になる。

ウィル&ケイト

そうした姿勢は、カナダもまったく例外ではなく、テレビでのコメンテイターも「ケイトは何もスピーチをするわけではないので、彼女のファッションに集中してしまうのは仕方がない」とはっきりと言い切っていた。

ウィル&ケイト


この旅行中ケイトは、地味で落ち着いた濃紺、ベージュ、淡いピンク、ライトグリーンといった色合いで通し、カナダを離れる前になってやっと赤や黄色のワンピースを着ていた。

エリザベス女王のように「色彩のてんこ盛り」の洋服には一切お目にかからなかったが、選ばれた洋服は大変な人気で、デザイナーの元には「同じものを!」との注文が殺到しているとか。

ウィル&ケイト

 滞在中は雨の日もあった。


だが若さがなせる業か、2人の飾らない気さくな性格のせいか。雨に濡れても気にしない、傘は自分で持つ、そばの人と相合傘をする、参加したドラゴンボート競争でしぶきがかかっても意に介さない、夫のウィルの先方にケイトが歩を進め握手をして廻る・・・。

一方お互いの背中に手を廻し、いたわり合う姿も散見されるといった具合で、とにかくカジュアルなのだ。

ウィル&ケイト

そして何よりも、周りのお付きの人々が必要以上に気を廻したり、警戒をしないことが見ていて何とも気持ちが良かった。

カナダには、フランス系の人々の怨念が詰まっている場所がケベックに存在する。それは、この国に最初に来て植民地を築いたのはフランス人だったにもかかわらず、後続のイギリスとの戦いに敗れ、その支配の下に屈することになった。その戦地跡である。

ウィル&ケイト

2人はその地にも足を運び人々と交わった。
カナダが、今もって英連邦の一員であることに反対し、デモを実行したフランス系カナダ人たちも、「ウィルとケイトの2人に対し個人的に文句はないけど、君主体制に不満がある」と言う。プラカードにはかなり激しい言葉が並んでいた。

ウィル&ケイト

また、こんな面白いエピソードもテレビで紹介された。

2人がカルガリー訪問中に、ウィルに似ているといわれるある若い白人の大学生がテレビに登場した。
将来は獣医になるとのことだが、アルバイトでコーヒーショップに勤めているという。

彼がお客に何度も言われるのは「プリンス・ウィリアムに似ているね!」の一言。
いつも3人連れ立ってコーヒーを飲みに来るという白人のおばあさんたちも例外ではない。そして彼女たちいわく「一つだけ違うのはね、この学生にはタップリ毛があることよ!」と屈託なく笑っていた。

訪問する方も、迎えるほうも何ともカジュアルなのだ。

この2人がカナダ訪問する少し前に、日本の皇太子さまは「日独交流150周年」の関連行事に出席するためベルリンを訪問されたという。

(Photos are from The Globe & Mail, The Toronto Star &The National Post)


以下のサイトも併せてご覧下さい:
http://canadashakaiko.canadajournal.whitesnow.jp/








東日本大震災写真集−トロント国際交流基金の蔵書に 2011年6月11、15日

 地震写真集

トロント国際交流基金では、日本の5つの新聞社が発行した東日本大震災の写真集を蔵書として保管し、一般の人が閲覧できることになりました。

外国に住んでいる場合、アマゾンなどでオーダーしない限り、たやすく入手するのが難しいと思います。
トロント周辺の方は、機会があったら是非足を運びご覧になったらいかがでしょう。 

地震写真集

現実を直視し、目をそむけない事はとても大事なことです。

そして外国の人々に、日本全体が駄目になっているのではないこと、震災後の日本が如何に頑張っているかをしっかりと伝えたいと思います。

風評に惑わされることがないように外国の人々に語り継ぐことが、カナダに限らず、外国に住む私たちの出来ること、そして最もしなければならないことではないかと思います。

地震写真集

Location: The Japan Foundation, Toronto
Address: 131 Bloor St. West, 2nd Floor of the Colonnade Building


LIBRARY HOURS
Monday: 11:30 am - 7:00 pm EXTENDED HOURS
Tuesday: 11:30 am - 4:30 pm
Wednesday: 11:30 am - 4:30 pm
Thursdays: 11:30 am - 7:00 pm EXTENDED HOURS
Friday: 11:30 am - 4:30 pm
Saturday openings: Noon - 5:00 pm  June 18 and July 9

地震写真集

地震写真集

日本からは遠いカナダですが、復興の早からんことを心から願っています。

地震写真集

カナダ、日本産食品の輸入規制を全面解除(朝日新聞)

2011年6月15日22時33分


カナダ政府が13日から日本産食品の輸入規制を全面解除した、と外務省が明らかにした。これまで福島など12都県の食品について、放射性物質の検査証明書添付を義務づけていた。同省によると、輸入規制をしている外国で全面解除するのはカナダが初めてという。






二ヶ月以上が経過した東日本大震災    2011年5月22日

 

春の花−2011


震災から二ヶ月以上が経過した

そして当コラムも、トロントを中心とするカナダでの義援金集めの様子を書いてから一ヶ月余りが過ぎたことになる。

トロントでは、今でもあちらこちらで「Earthquake  &  Tsunami Relief Fund 2011」と銘打って各種の震災チャリティーのためのイベントが行われており、カナダ人、日系人、日本からの移住者、一時滞在者たちが活動している。

義援金

その名も「Hope Blossoms」、Kick it for Japan」、「Art for Japan」、「Runs for Japan」「Rising Like the Sun」「ONIGIRI rice balls by Group of Japanese Mothers」「ディナーとエンターテイメントの夕べ」「東日本大震災義援金ゴルフ大会」「がんばろうJAPAN」「がんばれ日本」等々などなどなど・・・・・。

義援金

ロゴも「絆」や「希望」といった言葉が使われ、また、ちょっとした集まりやパーティーでも、義援金集めの募金箱が置かれている・・・といった具合だ。

日の丸とそれに絡ませたロゴの入ったデザインを、これほどトロント市内で見たのは初めてのことである。

義援金

こんな状況を称して『何かやらなければならない症候』と称した人がいたが、実に言いえて妙である。

日本中が重い空気に包まれているのと同様に、当地の日系社会もその澱の様な澱みが流れてきており、諸々の理由で協力出来ない人は、何となくプレッシャーを感じ落ち着かないという不思議な現象も起こっている。


イベントを企画し協力する時、その種類によっては労力だけを提供する場合と、かなり自腹を切らなければならない場合がある。

前者は時間的余裕のある人が全面的に協力することになるが、あのイベント、このイベントと重なると彼等の中に「いつも協力するのは同じ人ね」と言った不満も出てくる。

後者の場合は「協力には限度がある」となってそれを躊躇すれば、日本の被災者はもっと大変なのに「了見の狭い人」というレッテルを張られかねない。言って見れば地震による『第二次災害』となるが、一致協力してやっているイベントでちょっとでもネガティブなことは「言えない」ことになるのだ。

また、自由に使えるお金に制限がある場合は、家庭内での問題が複雑になり人には言えない問題も生じるようだ。

 

そんな中、スイスに住む子供を持つ日本人女性たちが、綺麗な水を確保するのが難しい場所に避難している被災者の赤ちゃんのいる家庭に、瓶入りの「すぐ飲ませられるミルク」が送られて来たなどのニュースを日本のメディアが大々的に採り上げた。

送った日本女性たちは自分たちの努力が報われたことを自覚することができ「いいことをしてよかった!」と満足感100%だろう。またそれによって助かった被災地の母親たちの笑顔が見えるようだ。

もちろんボランティアはUNSUNG HERO(縁の下の力持ち)であり、それが本来のボランティアのあり方であることは誰でもが知っているから、外国での募金活動が話題にならなくたって誰も文句など言わない。

実際被災地に行って助けることが出来ない海外在住の日本人に取っては、こうして身を粉にして働くことで、その気持ちの空白を埋めようとしているのだ。

だが集めた義援金はカナダ赤十字社を通して日本に送られるのだが、では一体どのように役立っているのか、どのように配分されているのか、となると、当然ながら送った方に情報は届かない。

「何となく空しい感じがするんだよね」とはあるボランティアの弁である。

同様の記事を私のblog「カナダ社会考」http://canadashakaiko.canadajournal.whitesnow.jp/
でもご覧下さい。



 春の花ー2011

日本の悲しみを共有するかのようにトロントは春雨の日が続く。コートが手放せない寒い日々にもめげずけなげに咲いた花もあれば、やっとこの週末3〜4週間遅れの固い蕾を開花させた木々もある。

春の花ー2011
日本の桜に負けず劣らずの美しい桜

春の花ー2011
種類もいろいろ

春の花ー2011



レベル7−思い出す「新型インフルエンザ」の流行   2011年4月18日

地震
韓国の食料品店(トロント市内)
日の丸に入った亀裂が痛々しい

原発の放射能のレベルが最高の7に引き上げられたことで、すでにたくさんの人がたくさんのことを書いている。専門家でない私は、そこに一文を加えるつもりはない。

しかしカナダに住む者としてこうした数字について思い出すのは、3年ほど前に世界中を震撼とさせたserse(こちらではサーズ、日本では新型インフルエンザ)のことである。

この件は、不運にもトロント郊外に研修などで訪れていた日本の高校生が、日本に戻ってすぐに発病したことで、日が経つにつれて日本のエアポートでは、カナダからの乗客をホテルなどを含む一定の場所に軟禁状態にした。

そして乗客の日本に来るまでの足取りや、その後日本では何処に行ってどんな人に会うのかといった身元調査を開始した。

「空港でシャットアウトさせたい!」という水際作戦だったようだが、結局は外国に出たこともない国内の人も感染し、果たしてその異常なまでの警戒態勢にどれほどの効果があったのか疑問視されたものだ。

また日本からトロントに情報収集に来たメディアは、街中でマスクをしている人を見付けると、その人の後を追って必死にカメラを動かした。

北米では、日本のように何かあるごとに「マスクをする」という習慣がまったくないことで、ちょっと気抜けしたためだろう。

「マスク掛けの人物」を見つけるのに苦労し、たまにいた時には執拗にその人を追っかけたのだ。冗談のような本当の話である。

日本での風評は、その夏カナダから日本に里帰りしたいと思っていた人々が「来ないでくれ!」と実家から言われたりという形でもあらわれた。「あなたは多分大丈夫でしょうけど、近所の手前があるから・・・」というわけだ。

そして見る見るうちに観光業がダウン、レスランビジネスがダウン、エンタテイメント関連がダウン・・・といった具合に、ドミノのようにバタバタと「負」の連鎖が隅々まで広がった。

まるで、一歩カナダの土を踏んだら最後、新型インフルエンザに即掛かるといった感じだった。

しかしここに住む者は、日々の生活をつつがなくこなしていた。手を洗ったりうがいをすることは頻繁に行うようになり、病院や人込みはなるべく避けるようにしたものの、まったく普通の生活だったのだ。

カナダの首相はこの事態を憂慮して、トロントのチャイナ・タウンに出かけて食事をし、「何も危険なことはありません」とアピールしたこともある。

地震
bitsの表紙(トロントの日系誌)

私個人としても、丁度この時期に人生の節目の誕生日を迎えたことで、20数人を招待して自宅で楽しいパーティーを開いた。友人たちも「人の集まる場所に行かない」なんてまったく気に掛けなかった。そしてだれもサーズに掛かることはなかった。

なぜ世界からカナダに向けられる目がこのような状態になったかと言えば、それは世界保健機関(WHO)がレベルをどんどん押し上げて行ったからだ。

もちろん一般の人が、その数字に怯えるのは分かり過ぎるほど分かる。だが、実際にその場所に住む一般の者は、ちょっとした注意をすることで何の問題もなく過ごしたのだ。

他にも特記することは、この時期アメリカではサーズの患者が一人もいなかったことだ。

あれだけ広大な国で、大小数え切れないほどの空港がある国で「サーズの患者は無」だったことを誰が信じられただろう!?

だがそれ以上の追求は誰もせず、問題にはならなかったのだ。

もっぱら言われたことは、「しかるべき当局が必死になって押さえ込んでいる」という噂だった。もし患者がサーズだとしても、ただ「肺炎」としてリポートしたのではないかという事がしきりに言われた。

その時はカナダの医者も毎日の記者会見の席で、頭をかきかき「そんなことはありえないと思うが・・・」と何度も何度も言ったものだった。

当然ながら今度の日本の災害を、当時のサーズと同じレベルで語ることは出来ない。次元の違う話であることは十分承知である。

だが、数字でランク付けされてしまったことで、大変な被害にあってしまった国と、徹底的に押さえ込むことで難を逃れた国との比較が如実であったことを、今日本の原発事故の数字を見るたびに思い出すのだ。

もちろんカナダの医療関係者は、リスクをおかしながら毎日必死で働き、中には感染して亡くなった人もいた。

だが毎日欠かさず医療関係者が記者会見を行い、その日の結果(患者数、新患者数、死亡者数、病院別の結果などなど)をきちんと発表した。
情報が一本化されていたこと、医療の専門家の発表であったことで、ここに住む者はとても安心だった。

すでに何回も言われていることだが、日本の惨事も政府からのきちんとした信頼のおける情報(日・英)が何よりも大事である。

特に外国に住んで故国を思うとき、そうした一本化をどれほど望むことか!

 地震
トロント日系文化会館の月刊誌(4月号)

上記の写真は、トロントで日本を想う人々の“ほんの”一部の書籍やポスターである。

いまでも毎日といっていいくらいに、トロントのどこかで義援金集めのチャリティーが行われている。
日本のメディアは北米といえばNY、ワシントンDC、西海岸しか頭にないため、ここでの熱い想いが日本に伝わることはない。

せめてこのblogを読んでくださる日本の読者に、微力ながらトロントの想いをお伝えしたい。



カナダの東日本大震災報道

日本から真反対に位置するカナダ・トロントからですが、お亡くなりになった方、被害に遭われた方、またその関係者の方々に心からのお見舞いを申し上げます。

以下は震災報道を掲載したカナダの新聞です。
どれも「JAPAN REELS」「 DEVASTATION」「 A NATION IN RUINS」などと題して写真と共に一面を埋めており、続いて何ページにも渡ってその悲惨さとショッキングな写真を載せています。

        地震
 
  地震      地震

                                            数多くの写真が並びます。

       地震

  地震  地震

地震 地震 

地震   地震


          地震
 
                      
こんな記事もありました。
「Nowhere in the world that is better prepared」
地震

復興に向けて気が遠くなるような日々が待ち受けていることでしょう。
関係者のご健康を心からお祈いたしております。







母が逝って7年目の冬

今までに私は文庫本を入れて4冊の本を上梓しました。(各本の詳細は私のホームページをご覧下さい)

処女作の「カナダ生き生き老い暮らし」(集英社)は、10年も前に出版したのですが、お陰さまでお読み下さる読者が多かったことで2005年に文庫本になりました。

花のバスケット
春を待ち焦がれる思いをバスケットに

単行本は、母が22年間過ごしたトロントでの生活に終止符を打ち、89歳になる直前に日本に逆移住したところで終わっています。

でも文庫本になった時には、母はすでに他界していました。そのため「後書き」には、私は立ち会えなかったものの、その母の最期について加筆しました。

母の本2冊
単行本と文庫本


世の中はすごい速さで動いていますので、それからでも数年も経っておりますから、種々雑多な周りの事柄が変わっています。
でも、いまだに拙著を手に取ってご購読くださる方がいらっしゃるようで大変に嬉しく思っています。

何といっても文庫本は、その手軽さと、値段の安さ(拙著は¥533+税)が受けるようです。

 アマリリス
母の好きだった赤いアマリリス

「物書き」をしていて最も嬉しいことの一つは、読者からのお便りを頂くことです


先日は鹿児島のSさんという、私と同年輩の方からメールを頂きました。

この方がお読みくださったのは文庫本ではなかったようで、母の「その後」についてお訊ね下さいました。すぐにご返事をして、文庫本にその旨が書いてあることをお知らせしました。

 花のバスケット
ある友人の病気見舞いに、私の友だちが作った春のバスケット

トロントには、拙著がきっかけになって娘さんや、息子さんを頼って移住した年配の方が何人かいらっしゃいます。

ちょっと責任を感じるのですが、その方たちがご自分の生活範囲の中でお幸せでいらっしゃることを願っています。

 アマリリス

母が亡くなったのは93歳でしたから、歳に不足はなかったのですが、それでも母が逝った後は寂しい気持がつのりました。

親というのは、何歳だからいいというものではないとつくづく感じました。

もちろん高齢でしたから、体調の衰えによる体の不調はあったものの、最後までボケもなく自分を律して生き抜きました。

私は文庫本の「後書き」の一番最後に『哀歓すべてを併せ、いつの時も凛として生き抜いたこの一人の女性の一生をもし一言で言い表すのなら、私は躊躇なく「あっぱれ」という言葉を選びたいと思う』と結びました。

母が逝ったのは2月。今年で丸7年目になります。

母の逝った月
トロントはまだ一面雪景色です。

 


トロント日系会館のお正月会

 トロントの郊外にある日系文化会館(Japanese Canadian Cultural Centre−通称JCCC)では、毎年一月末に「お正月会」を開きます。

JCCC
日系文化会館の入り口(和風の“灯り”を型取ったシンボルの塔)

今年も1月23日(日)に開催され、沢山の人で賑わいました。
外は凍てつく日(−20℃!)だったのですが、会館内は多くの子供たちを中心に、日本のお正月を思い出す盛りだくさんの行事が執り行われました。

JCCC
会館の受付

JCCC
入り口にある鳥居と着物の娘さんたち

JCCC
まずはお屠蘇でお正月の味を楽しみ・・・・・

JCCC
「獅子舞」でお正月気分を盛り上げて・・・・・


JCCC
そしてゲーム会場へ
    スゴロクを楽しむ子供たち

JCCC
羽根つきもど〜ぞ

JCCC
英語名を漢字で書くとどうなるかな?

JCCC
お書初めも楽しめます

JCCC
日本式マッサージのサービスだってありますよ

LCCC
「玉すだれ」の芸人だって登場します

JCCC
日本の食べ物も数々揃っていて、より取り見取り

JCCC
そして舞台では、ハワイアンダンスも・・・・・

JCCC
よさこい節も・・・・・

JCCC
クラスシックの音楽も楽しめます


この「お正月会」の最近の特徴は、国際結婚をしている若い夫婦たちが子供連れでたくさん参加することです。

例えそれが「〜まがい」のものであっても、日本を思い出させてくれるものに日本人が懐かしさを感じるのは分かります。

でもその他にも、国際結婚をしている多くのカナダ人の夫や妻が、日本に滞在していた時に、こうした行事に参加して楽しかった思い出があるということも大きな理由と思われます。

つまり、それだけ人の往来が多方面に広がり、日本文化に引かれる外国人が増えていることのあらわれと言えるでしょう。

加えて、昔は忙しかったり、余りこうした行事に興味を示さなかった子育てを終えた団塊の世代の移住者たちが、着物姿でボランティアをする姿が目立つことです。

長く当地に住んでいる者には、いろいろな意味で「時の流れ」を感じる行事ではあります。

JCCC
トロントの積雪はいつもながらたいしたことはないのですが、
  寒さは今年一番でした。





カナダの生んだ天才ピアニスト−Glenn Gould

1月13日(木)


 Glenn Gloud

カナダはとても地味な国です。

隣国アメリカのように、キラ星のように輝く芸術家というのはそう多くはいません。もっとも人口比を考えれば隣家は7倍。となれば比較するのも所詮無理な話でしょう。

加えて才能のあるカナダ人の多くは、アメリカに流れていきます。それを「頭脳の流出」と人々は言いますが、学者なら多額の研究費を出してもらえるし、芸術関係ならマーケットが広いことを思えばむべなるかな、でしょう。

Glenn Gloud

そんな中、グレン・グールド(Glenn Gould)はカナダに留まり、カナダを活躍の場にしながら世界にその名を知らしめたピアニストです。

Glenn Gloud

すでに亡くなって19年近く経つ(1932ー1982 満50歳没)のですが、一般の人が描く彼のイメージは、“天才”などというタイトルが付く人によくある、人嫌いで孤独な隠遁者と思われています。
それも確かに彼の一面であったようです。

Glenn Gloud

Glenn Gloud

しかし一方、子供のいる既婚のアメリカ女性との実らなかった愛の遍歴もあったと聞けば、一変して、とても人間らしい一面が見えるような気がします。
もちろん勝手な解釈でしょうが・・・?

このことは、音楽関係者にはとっくに知られていたそうですが、事実が一般に公開されたのは数年前で、大きな話題になりました。

しかし、その新聞に載った元恋人の近影を見たとき、正直「うっ!?」と思ったのは私一人ではなかったようです。

Glenn Gloud

詳細に触れることは避けましょう。人は誰でも年をとるのですから・・・。

しかし出来るだけ「Getting old gracefully」でありたいと、その写真を見て心底思ったことだけをつけ加えておきましょう。

上記の何枚かの写真は、つい先日撮影したものです。

これは、カナダの半官半民の全国網の放送局CBCに付属している「Glenn Gould Studio」というクラシック音楽の演奏会場前に設置されています。

Glenn Gloud

撮影した理由は、福井県・越前市(旧武生市)に住むGlenn Gould の愛好家の某氏からの頼みだったのです。

この方とは10年前にトロントに研修視察ツアーでいらしたとき、通訳として同行しお知り合いになりました。

以来、律義に、毎年欠かすことなく年賀のご挨拶を送って下さいます。

今年は、その折にトロント訪問のとき、ベンチに座る「グールド」の事をまったく知らなく、
悔しい思いで帰国しましたが、いまなお悔しく思っております」とあって、時間のあるときに撮影して送って欲しいとのご依頼があったのです。

何枚かをお送りした後のメールには、
「ゴールドベルク変奏曲のメロディーがキラキラと聴こえてくるような、グールドとの貴重な出会いをありがとうございました。本当に感激いたしました」
と書かれていました。

せっかく撮影したので、我がブログにも載せて、訪ねて下さる読者にもエンジョイして頂こうと思いました。







Boxing Day

 12月26日(日)

カナダはクリスマスの翌日をBoxing Dayと呼び2日続きの休日になります。この日は大々的な「sale日」で、多くの人が近隣のショッピングセンターに出かけ、70,80%offになった物を買いあさります。

もちろんたった2日違いで(25日は休み)値段が半額以下になる物もあるのですが、大方はすでにクリスマス前から安くなっている商品が多いのです。

でも人間の心理として「安売りの日」となると、何か落ち着かず雑踏にまぎれたくなるのでしょうね。

幸い今日は「悪天候」という予報を裏切り、ショッピングによし、ドライブによしの一日でした。

私はそんな青空に誘われて、毎年26日の恒例になっているトロント郊外(Mono City)へのドライブに出かけました。(北に車で1時間半ほどの街)

boxing day
まさに抜けるような青空でした

boxing day
Boxing Dayにいつも行く郊外のレストラン
昔は学校だった建物です

boxing day
大きな暖炉が暖かくお客さんを迎えてくれます

boxing day
暖炉の上の飾り

boxing day
何処もかしこもクリスマスの飾りつけで一杯

boxing day
すべて生の果物で出来ているリース

boxing day
毎年ながらここに来ると「ああ、今年もクリスマスが過ぎていくな・・・」と思えるのです

boxing day
この辺りは馬の飼育をビジネスにしている人が多いことでも知られています

boxing day
近寄ると人なつっこく寄って来ます。残念ながら雪が柔らくて短いブーツの中に入りそうで柵のそばまでいけませんでした


トロント市内には雪はなく何やら暖かい年の瀬のため、今日はカナダらしい冬の景色を思う存分楽しみました。

本格的な冬は年明けからです。
1,2月はどんなに寒さが厳しくてもそれなりの心構えをしているためまったく嫌ではないのですが、3月にいつまでも雪が残っているとちょっとこたえます。

さて来年はどんな年になるでしょうか・・・?


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訪日の折に見た日本の興味ある光景をパチリッ!

12月9日(木)記


人は 同じ場所にずっと住んで平和に暮らしていると、その光景が余りにも当たり前のことになって「不思議だな?」とか「これってちょっと変じゃない?」と思う感覚が鈍ってしまいます。
時には日常を離れ旅行してみるのは、本当に大切なことです。

私は外国に永年住んでいますが、1年に一回は公私を兼ねて訪日します。そしてそのたびに多くの「うわっ、すっごい!」という光景に出会います。
もちろんそれは日本ばかりではなく、今まで訪れた幾つもの外国の地でも同じ経験をしました。

以下は秋の訪日の折に撮ったスナップショットで、私の目から見たいろいろな意味での“驚き”や“感心”した光景です。幾つかを公開しましょう。

中国製を不買
ちょっと読みにくいのですが「チャイナフリー宣言」と書いてあります。ある駅前のお店に貼ってあったポスターです。
トロントでも多くの中国産の東洋食品が売られていますが、それを買うたびに「大丈夫かな・・・」と一抹の不安を感じるのは私ばかりではありません。

駅の掃除
                       駅の掃除
こんなに一生懸命に掃除をしてくれる人がトロントの地下鉄にもいてくれたら、踏まれて真っ黒になったチューインガムのスポットがさぞ少なくなることでしょう・・・。

色のペン
あるデパートの文房具売り場です。これほどの種類のペンが必要なのかな、と疑問を感じます。でも需要があるから供給するのでしょうね。

駅の自殺
「人身事故」とは鉄道自殺でしょうか?
これだけでは真相は分かりませんが、日本は今年も自殺者が3万人を超えました。

寝ている女子学生
座席に座ったときには、試験勉強か宿題を始めたようですが、もう眠くて眠くて・・・ついこんな格好で寝込んでしまった女子中学生です。
彼女が就職するころには、日本の「超氷河期」といわれる就職難が少しでも解決していて欲しいと心から思います。

腰曲がり

腰曲がり
長い間前かがみになった仕事をしていたからでしょうか・・・。日本ではこうしたシニアを目にすることがとても多いのです。日本の復興を支えたお年寄りたちに幸あれと願っています。

菅首相
勉強に疲れて眠り込む女子中学生の将来に、そして働いて日本を支えて来たシニアたちに「元気な日本」を是非「復活させて」ください。
菅首相たのみまっせ!!!







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