二ヶ月以上が経過した東日本大震災    2011年5月22日

 

春の花−2011


震災から二ヶ月以上が経過した

そして当コラムも、トロントを中心とするカナダでの義援金集めの様子を書いてから一ヶ月余りが過ぎたことになる。

トロントでは、今でもあちらこちらで「Earthquake  &  Tsunami Relief Fund 2011」と銘打って各種の震災チャリティーのためのイベントが行われており、カナダ人、日系人、日本からの移住者、一時滞在者たちが活動している。

義援金

その名も「Hope Blossoms」、Kick it for Japan」、「Art for Japan」、「Runs for Japan」「Rising Like the Sun」「ONIGIRI rice balls by Group of Japanese Mothers」「ディナーとエンターテイメントの夕べ」「東日本大震災義援金ゴルフ大会」「がんばろうJAPAN」「がんばれ日本」等々などなどなど・・・・・。

義援金

ロゴも「絆」や「希望」といった言葉が使われ、また、ちょっとした集まりやパーティーでも、義援金集めの募金箱が置かれている・・・といった具合だ。

日の丸とそれに絡ませたロゴの入ったデザインを、これほどトロント市内で見たのは初めてのことである。

義援金

こんな状況を称して『何かやらなければならない症候』と称した人がいたが、実に言いえて妙である。

日本中が重い空気に包まれているのと同様に、当地の日系社会もその澱の様な澱みが流れてきており、諸々の理由で協力出来ない人は、何となくプレッシャーを感じ落ち着かないという不思議な現象も起こっている。


イベントを企画し協力する時、その種類によっては労力だけを提供する場合と、かなり自腹を切らなければならない場合がある。

前者は時間的余裕のある人が全面的に協力することになるが、あのイベント、このイベントと重なると彼等の中に「いつも協力するのは同じ人ね」と言った不満も出てくる。

後者の場合は「協力には限度がある」となってそれを躊躇すれば、日本の被災者はもっと大変なのに「了見の狭い人」というレッテルを張られかねない。言って見れば地震による『第二次災害』となるが、一致協力してやっているイベントでちょっとでもネガティブなことは「言えない」ことになるのだ。

また、自由に使えるお金に制限がある場合は、家庭内での問題が複雑になり人には言えない問題も生じるようだ。

 

そんな中、スイスに住む子供を持つ日本人女性たちが、綺麗な水を確保するのが難しい場所に避難している被災者の赤ちゃんのいる家庭に、瓶入りの「すぐ飲ませられるミルク」が送られて来たなどのニュースを日本のメディアが大々的に採り上げた。

送った日本女性たちは自分たちの努力が報われたことを自覚することができ「いいことをしてよかった!」と満足感100%だろう。またそれによって助かった被災地の母親たちの笑顔が見えるようだ。

もちろんボランティアはUNSUNG HERO(縁の下の力持ち)であり、それが本来のボランティアのあり方であることは誰でもが知っているから、外国での募金活動が話題にならなくたって誰も文句など言わない。

実際被災地に行って助けることが出来ない海外在住の日本人に取っては、こうして身を粉にして働くことで、その気持ちの空白を埋めようとしているのだ。

だが集めた義援金はカナダ赤十字社を通して日本に送られるのだが、では一体どのように役立っているのか、どのように配分されているのか、となると、当然ながら送った方に情報は届かない。

「何となく空しい感じがするんだよね」とはあるボランティアの弁である。

同様の記事を私のblog「カナダ社会考」http://canadashakaiko.canadajournal.whitesnow.jp/
でもご覧下さい。



 春の花ー2011

日本の悲しみを共有するかのようにトロントは春雨の日が続く。コートが手放せない寒い日々にもめげずけなげに咲いた花もあれば、やっとこの週末3〜4週間遅れの固い蕾を開花させた木々もある。

春の花ー2011
日本の桜に負けず劣らずの美しい桜

春の花ー2011
種類もいろいろ

春の花ー2011



レベル7−思い出す「新型インフルエンザ」の流行   2011年4月18日

地震
韓国の食料品店(トロント市内)
日の丸に入った亀裂が痛々しい

原発の放射能のレベルが最高の7に引き上げられたことで、すでにたくさんの人がたくさんのことを書いている。専門家でない私は、そこに一文を加えるつもりはない。

しかしカナダに住む者としてこうした数字について思い出すのは、3年ほど前に世界中を震撼とさせたserse(こちらではサーズ、日本では新型インフルエンザ)のことである。

この件は、不運にもトロント郊外に研修などで訪れていた日本の高校生が、日本に戻ってすぐに発病したことで、日が経つにつれて日本のエアポートでは、カナダからの乗客をホテルなどを含む一定の場所に軟禁状態にした。

そして乗客の日本に来るまでの足取りや、その後日本では何処に行ってどんな人に会うのかといった身元調査を開始した。

「空港でシャットアウトさせたい!」という水際作戦だったようだが、結局は外国に出たこともない国内の人も感染し、果たしてその異常なまでの警戒態勢にどれほどの効果があったのか疑問視されたものだ。

また日本からトロントに情報収集に来たメディアは、街中でマスクをしている人を見付けると、その人の後を追って必死にカメラを動かした。

北米では、日本のように何かあるごとに「マスクをする」という習慣がまったくないことで、ちょっと気抜けしたためだろう。

「マスク掛けの人物」を見つけるのに苦労し、たまにいた時には執拗にその人を追っかけたのだ。冗談のような本当の話である。

日本での風評は、その夏カナダから日本に里帰りしたいと思っていた人々が「来ないでくれ!」と実家から言われたりという形でもあらわれた。「あなたは多分大丈夫でしょうけど、近所の手前があるから・・・」というわけだ。

そして見る見るうちに観光業がダウン、レスランビジネスがダウン、エンタテイメント関連がダウン・・・といった具合に、ドミノのようにバタバタと「負」の連鎖が隅々まで広がった。

まるで、一歩カナダの土を踏んだら最後、新型インフルエンザに即掛かるといった感じだった。

しかしここに住む者は、日々の生活をつつがなくこなしていた。手を洗ったりうがいをすることは頻繁に行うようになり、病院や人込みはなるべく避けるようにしたものの、まったく普通の生活だったのだ。

カナダの首相はこの事態を憂慮して、トロントのチャイナ・タウンに出かけて食事をし、「何も危険なことはありません」とアピールしたこともある。

地震
bitsの表紙(トロントの日系誌)

私個人としても、丁度この時期に人生の節目の誕生日を迎えたことで、20数人を招待して自宅で楽しいパーティーを開いた。友人たちも「人の集まる場所に行かない」なんてまったく気に掛けなかった。そしてだれもサーズに掛かることはなかった。

なぜ世界からカナダに向けられる目がこのような状態になったかと言えば、それは世界保健機関(WHO)がレベルをどんどん押し上げて行ったからだ。

もちろん一般の人が、その数字に怯えるのは分かり過ぎるほど分かる。だが、実際にその場所に住む一般の者は、ちょっとした注意をすることで何の問題もなく過ごしたのだ。

他にも特記することは、この時期アメリカではサーズの患者が一人もいなかったことだ。

あれだけ広大な国で、大小数え切れないほどの空港がある国で「サーズの患者は無」だったことを誰が信じられただろう!?

だがそれ以上の追求は誰もせず、問題にはならなかったのだ。

もっぱら言われたことは、「しかるべき当局が必死になって押さえ込んでいる」という噂だった。もし患者がサーズだとしても、ただ「肺炎」としてリポートしたのではないかという事がしきりに言われた。

その時はカナダの医者も毎日の記者会見の席で、頭をかきかき「そんなことはありえないと思うが・・・」と何度も何度も言ったものだった。

当然ながら今度の日本の災害を、当時のサーズと同じレベルで語ることは出来ない。次元の違う話であることは十分承知である。

だが、数字でランク付けされてしまったことで、大変な被害にあってしまった国と、徹底的に押さえ込むことで難を逃れた国との比較が如実であったことを、今日本の原発事故の数字を見るたびに思い出すのだ。

もちろんカナダの医療関係者は、リスクをおかしながら毎日必死で働き、中には感染して亡くなった人もいた。

だが毎日欠かさず医療関係者が記者会見を行い、その日の結果(患者数、新患者数、死亡者数、病院別の結果などなど)をきちんと発表した。
情報が一本化されていたこと、医療の専門家の発表であったことで、ここに住む者はとても安心だった。

すでに何回も言われていることだが、日本の惨事も政府からのきちんとした信頼のおける情報(日・英)が何よりも大事である。

特に外国に住んで故国を思うとき、そうした一本化をどれほど望むことか!

 地震
トロント日系文化会館の月刊誌(4月号)

上記の写真は、トロントで日本を想う人々の“ほんの”一部の書籍やポスターである。

いまでも毎日といっていいくらいに、トロントのどこかで義援金集めのチャリティーが行われている。
日本のメディアは北米といえばNY、ワシントンDC、西海岸しか頭にないため、ここでの熱い想いが日本に伝わることはない。

せめてこのblogを読んでくださる日本の読者に、微力ながらトロントの想いをお伝えしたい。



カナダの東日本大震災報道

日本から真反対に位置するカナダ・トロントからですが、お亡くなりになった方、被害に遭われた方、またその関係者の方々に心からのお見舞いを申し上げます。

以下は震災報道を掲載したカナダの新聞です。
どれも「JAPAN REELS」「 DEVASTATION」「 A NATION IN RUINS」などと題して写真と共に一面を埋めており、続いて何ページにも渡ってその悲惨さとショッキングな写真を載せています。

        地震
 
  地震      地震

                                            数多くの写真が並びます。

       地震

  地震  地震

地震 地震 

地震   地震


          地震
 
                      
こんな記事もありました。
「Nowhere in the world that is better prepared」
地震

復興に向けて気が遠くなるような日々が待ち受けていることでしょう。
関係者のご健康を心からお祈いたしております。







母が逝って7年目の冬

今までに私は文庫本を入れて4冊の本を上梓しました。(各本の詳細は私のホームページをご覧下さい)

処女作の「カナダ生き生き老い暮らし」(集英社)は、10年も前に出版したのですが、お陰さまでお読み下さる読者が多かったことで2005年に文庫本になりました。

花のバスケット
春を待ち焦がれる思いをバスケットに

単行本は、母が22年間過ごしたトロントでの生活に終止符を打ち、89歳になる直前に日本に逆移住したところで終わっています。

でも文庫本になった時には、母はすでに他界していました。そのため「後書き」には、私は立ち会えなかったものの、その母の最期について加筆しました。

母の本2冊
単行本と文庫本


世の中はすごい速さで動いていますので、それからでも数年も経っておりますから、種々雑多な周りの事柄が変わっています。
でも、いまだに拙著を手に取ってご購読くださる方がいらっしゃるようで大変に嬉しく思っています。

何といっても文庫本は、その手軽さと、値段の安さ(拙著は¥533+税)が受けるようです。

 アマリリス
母の好きだった赤いアマリリス

「物書き」をしていて最も嬉しいことの一つは、読者からのお便りを頂くことです


先日は鹿児島のSさんという、私と同年輩の方からメールを頂きました。

この方がお読みくださったのは文庫本ではなかったようで、母の「その後」についてお訊ね下さいました。すぐにご返事をして、文庫本にその旨が書いてあることをお知らせしました。

 花のバスケット
ある友人の病気見舞いに、私の友だちが作った春のバスケット

トロントには、拙著がきっかけになって娘さんや、息子さんを頼って移住した年配の方が何人かいらっしゃいます。

ちょっと責任を感じるのですが、その方たちがご自分の生活範囲の中でお幸せでいらっしゃることを願っています。

 アマリリス

母が亡くなったのは93歳でしたから、歳に不足はなかったのですが、それでも母が逝った後は寂しい気持がつのりました。

親というのは、何歳だからいいというものではないとつくづく感じました。

もちろん高齢でしたから、体調の衰えによる体の不調はあったものの、最後までボケもなく自分を律して生き抜きました。

私は文庫本の「後書き」の一番最後に『哀歓すべてを併せ、いつの時も凛として生き抜いたこの一人の女性の一生をもし一言で言い表すのなら、私は躊躇なく「あっぱれ」という言葉を選びたいと思う』と結びました。

母が逝ったのは2月。今年で丸7年目になります。

母の逝った月
トロントはまだ一面雪景色です。

 


トロント日系会館のお正月会

 トロントの郊外にある日系文化会館(Japanese Canadian Cultural Centre−通称JCCC)では、毎年一月末に「お正月会」を開きます。

JCCC
日系文化会館の入り口(和風の“灯り”を型取ったシンボルの塔)

今年も1月23日(日)に開催され、沢山の人で賑わいました。
外は凍てつく日(−20℃!)だったのですが、会館内は多くの子供たちを中心に、日本のお正月を思い出す盛りだくさんの行事が執り行われました。

JCCC
会館の受付

JCCC
入り口にある鳥居と着物の娘さんたち

JCCC
まずはお屠蘇でお正月の味を楽しみ・・・・・

JCCC
「獅子舞」でお正月気分を盛り上げて・・・・・


JCCC
そしてゲーム会場へ
    スゴロクを楽しむ子供たち

JCCC
羽根つきもど〜ぞ

JCCC
英語名を漢字で書くとどうなるかな?

JCCC
お書初めも楽しめます

JCCC
日本式マッサージのサービスだってありますよ

LCCC
「玉すだれ」の芸人だって登場します

JCCC
日本の食べ物も数々揃っていて、より取り見取り

JCCC
そして舞台では、ハワイアンダンスも・・・・・

JCCC
よさこい節も・・・・・

JCCC
クラスシックの音楽も楽しめます


この「お正月会」の最近の特徴は、国際結婚をしている若い夫婦たちが子供連れでたくさん参加することです。

例えそれが「〜まがい」のものであっても、日本を思い出させてくれるものに日本人が懐かしさを感じるのは分かります。

でもその他にも、国際結婚をしている多くのカナダ人の夫や妻が、日本に滞在していた時に、こうした行事に参加して楽しかった思い出があるということも大きな理由と思われます。

つまり、それだけ人の往来が多方面に広がり、日本文化に引かれる外国人が増えていることのあらわれと言えるでしょう。

加えて、昔は忙しかったり、余りこうした行事に興味を示さなかった子育てを終えた団塊の世代の移住者たちが、着物姿でボランティアをする姿が目立つことです。

長く当地に住んでいる者には、いろいろな意味で「時の流れ」を感じる行事ではあります。

JCCC
トロントの積雪はいつもながらたいしたことはないのですが、
  寒さは今年一番でした。





カナダの生んだ天才ピアニスト−Glenn Gould

1月13日(木)


 Glenn Gloud

カナダはとても地味な国です。

隣国アメリカのように、キラ星のように輝く芸術家というのはそう多くはいません。もっとも人口比を考えれば隣家は7倍。となれば比較するのも所詮無理な話でしょう。

加えて才能のあるカナダ人の多くは、アメリカに流れていきます。それを「頭脳の流出」と人々は言いますが、学者なら多額の研究費を出してもらえるし、芸術関係ならマーケットが広いことを思えばむべなるかな、でしょう。

Glenn Gloud

そんな中、グレン・グールド(Glenn Gould)はカナダに留まり、カナダを活躍の場にしながら世界にその名を知らしめたピアニストです。

Glenn Gloud

すでに亡くなって19年近く経つ(1932ー1982 満50歳没)のですが、一般の人が描く彼のイメージは、“天才”などというタイトルが付く人によくある、人嫌いで孤独な隠遁者と思われています。
それも確かに彼の一面であったようです。

Glenn Gloud

Glenn Gloud

しかし一方、子供のいる既婚のアメリカ女性との実らなかった愛の遍歴もあったと聞けば、一変して、とても人間らしい一面が見えるような気がします。
もちろん勝手な解釈でしょうが・・・?

このことは、音楽関係者にはとっくに知られていたそうですが、事実が一般に公開されたのは数年前で、大きな話題になりました。

しかし、その新聞に載った元恋人の近影を見たとき、正直「うっ!?」と思ったのは私一人ではなかったようです。

Glenn Gloud

詳細に触れることは避けましょう。人は誰でも年をとるのですから・・・。

しかし出来るだけ「Getting old gracefully」でありたいと、その写真を見て心底思ったことだけをつけ加えておきましょう。

上記の何枚かの写真は、つい先日撮影したものです。

これは、カナダの半官半民の全国網の放送局CBCに付属している「Glenn Gould Studio」というクラシック音楽の演奏会場前に設置されています。

Glenn Gloud

撮影した理由は、福井県・越前市(旧武生市)に住むGlenn Gould の愛好家の某氏からの頼みだったのです。

この方とは10年前にトロントに研修視察ツアーでいらしたとき、通訳として同行しお知り合いになりました。

以来、律義に、毎年欠かすことなく年賀のご挨拶を送って下さいます。

今年は、その折にトロント訪問のとき、ベンチに座る「グールド」の事をまったく知らなく、
悔しい思いで帰国しましたが、いまなお悔しく思っております」とあって、時間のあるときに撮影して送って欲しいとのご依頼があったのです。

何枚かをお送りした後のメールには、
「ゴールドベルク変奏曲のメロディーがキラキラと聴こえてくるような、グールドとの貴重な出会いをありがとうございました。本当に感激いたしました」
と書かれていました。

せっかく撮影したので、我がブログにも載せて、訪ねて下さる読者にもエンジョイして頂こうと思いました。







Boxing Day

 12月26日(日)

カナダはクリスマスの翌日をBoxing Dayと呼び2日続きの休日になります。この日は大々的な「sale日」で、多くの人が近隣のショッピングセンターに出かけ、70,80%offになった物を買いあさります。

もちろんたった2日違いで(25日は休み)値段が半額以下になる物もあるのですが、大方はすでにクリスマス前から安くなっている商品が多いのです。

でも人間の心理として「安売りの日」となると、何か落ち着かず雑踏にまぎれたくなるのでしょうね。

幸い今日は「悪天候」という予報を裏切り、ショッピングによし、ドライブによしの一日でした。

私はそんな青空に誘われて、毎年26日の恒例になっているトロント郊外(Mono City)へのドライブに出かけました。(北に車で1時間半ほどの街)

boxing day
まさに抜けるような青空でした

boxing day
Boxing Dayにいつも行く郊外のレストラン
昔は学校だった建物です

boxing day
大きな暖炉が暖かくお客さんを迎えてくれます

boxing day
暖炉の上の飾り

boxing day
何処もかしこもクリスマスの飾りつけで一杯

boxing day
すべて生の果物で出来ているリース

boxing day
毎年ながらここに来ると「ああ、今年もクリスマスが過ぎていくな・・・」と思えるのです

boxing day
この辺りは馬の飼育をビジネスにしている人が多いことでも知られています

boxing day
近寄ると人なつっこく寄って来ます。残念ながら雪が柔らくて短いブーツの中に入りそうで柵のそばまでいけませんでした


トロント市内には雪はなく何やら暖かい年の瀬のため、今日はカナダらしい冬の景色を思う存分楽しみました。

本格的な冬は年明けからです。
1,2月はどんなに寒さが厳しくてもそれなりの心構えをしているためまったく嫌ではないのですが、3月にいつまでも雪が残っているとちょっとこたえます。

さて来年はどんな年になるでしょうか・・・?


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訪日の折に見た日本の興味ある光景をパチリッ!

12月9日(木)記


人は 同じ場所にずっと住んで平和に暮らしていると、その光景が余りにも当たり前のことになって「不思議だな?」とか「これってちょっと変じゃない?」と思う感覚が鈍ってしまいます。
時には日常を離れ旅行してみるのは、本当に大切なことです。

私は外国に永年住んでいますが、1年に一回は公私を兼ねて訪日します。そしてそのたびに多くの「うわっ、すっごい!」という光景に出会います。
もちろんそれは日本ばかりではなく、今まで訪れた幾つもの外国の地でも同じ経験をしました。

以下は秋の訪日の折に撮ったスナップショットで、私の目から見たいろいろな意味での“驚き”や“感心”した光景です。幾つかを公開しましょう。

中国製を不買
ちょっと読みにくいのですが「チャイナフリー宣言」と書いてあります。ある駅前のお店に貼ってあったポスターです。
トロントでも多くの中国産の東洋食品が売られていますが、それを買うたびに「大丈夫かな・・・」と一抹の不安を感じるのは私ばかりではありません。

駅の掃除
                       駅の掃除
こんなに一生懸命に掃除をしてくれる人がトロントの地下鉄にもいてくれたら、踏まれて真っ黒になったチューインガムのスポットがさぞ少なくなることでしょう・・・。

色のペン
あるデパートの文房具売り場です。これほどの種類のペンが必要なのかな、と疑問を感じます。でも需要があるから供給するのでしょうね。

駅の自殺
「人身事故」とは鉄道自殺でしょうか?
これだけでは真相は分かりませんが、日本は今年も自殺者が3万人を超えました。

寝ている女子学生
座席に座ったときには、試験勉強か宿題を始めたようですが、もう眠くて眠くて・・・ついこんな格好で寝込んでしまった女子中学生です。
彼女が就職するころには、日本の「超氷河期」といわれる就職難が少しでも解決していて欲しいと心から思います。

腰曲がり

腰曲がり
長い間前かがみになった仕事をしていたからでしょうか・・・。日本ではこうしたシニアを目にすることがとても多いのです。日本の復興を支えたお年寄りたちに幸あれと願っています。

菅首相
勉強に疲れて眠り込む女子中学生の将来に、そして働いて日本を支えて来たシニアたちに「元気な日本」を是非「復活させて」ください。
菅首相たのみまっせ!!!






太宰治を追って青森から奥津軽への旅、そして北海道の函館へ

今回のブログは、10月25日〜31日までの1週間、青森から函館にかけて旅行したものを3回に分けて写真を一杯載せ旅行記としてまとめました。
最後までお楽しみ下さい。


11月5日(金)記

 

私は訪日の度に一人で旅に出るのをここ何年もの習慣にしています。

 

10年程前に、第一冊目の本(「カナダ生き生き老い暮らし」集英社)を上梓したことがきっかけで、あちらこちらから講演のご依頼を頂きました。

それが機になって一人旅の気儘さを味わって以来、「素敵な一人の時間」を心から楽しんでいます。

 

今回は、東北・函館の秋を追ってみたいとトロントを出発する前から計画をしていました。


ここを選んだのには幾つかの理由があったのですが、フリーランスの物書きになってから不定期にカナダについて書かせて頂いている「ゆきのまち通信」という素敵なタウン誌が青森にあるので、久し振りに「ご挨拶を!」と思ったことが第一の理由です。

青森

  
          青森
             出版している雑誌類の一部

そしてそこ迄脚を伸ばすのなら、昨年生誕
100周年を祝った“太宰治の津軽の足跡”をたどって見たいと思い付いたのです。

  

トロントには、世界から著名な作家を招いて開くAuthor’s Nightという地味ながら非常に興味深い催し物があります。

招待された作家が自分の作品をただ単に静かに読むという、それだけの事なのですが、それがとても素敵なのです。

もう大分前ですが、それに太宰治の娘さんである作家の津島裕子さんが招かれたため私はインタビューさせて頂いたことがあり、その静かな語り口が心に深く残っていたのです。

これが彼女の父親である太宰治の生家や津軽の足跡を追って見たいという思いにも繋がりました。

  

加えて3年程前に、日本政府が主催するJETプログラムで日本に行きたいというトロントの若者に日本語を教えたのですが、その彼が津軽地方の中泊という小さな小さな町に派遣されたのです。

 

青森
 

それが青森の津軽にあることを最近知りました。

彼はもう任期を終えて現在中近東辺りを旅行中ですが、赴任中によくメールをくれて「先生一度来て下さい!」と誘ってくれたのです。


残念ながら彼はもういませんが、カナダから行った若者が暮らした良くも悪くも西洋社会とは大変に異なる津軽という地方の町を垣間見たいと思いました。


そんなこんなの思いを抱えての旅でしたが、結果は期せずして「太宰治生誕
101年」をつぶさに追うことになりました。


初日の夜に編集長がまず連れて行って下さったのは、市内で本物の津軽三味線を聞かせるお店でした。
畳に座って食事をしながら聞く女性の津軽三味線、男性のじょんがら節の歌声はお腹にぐんと響きます。

青森

翌日も朝から編集長が、まず棟方志功記念館からの見学にご一緒して下さいました。

ここは作品の収集はそれほど多くはないものの、記念館自体も前庭もしっとりと雰囲気のある風情で、その佇まいが何とも心を落ち着かせてくれます。



青森

           青森

 
次に訪れたのは青森県立美術館です。

何といってもここにはジャガールの大作『アレコ』が3枚あること。加えて現代美術家 奈良美智の『あおもりの犬』を始め、寺山修司や棟方志功の作品が収められていることで有名なのです。

奈良美智の作品は、トロントの国際交流基金で展覧会をしたこともあり、またトロントの街の小物屋のお店にも、彼の絵柄(あのmeanな表情の女の子の顔)を印刷したTシャツやバッグなども売っていることから一層身近に感じられました。

青森

この後は、今年初めての雪が降る中、編集長が太宰治の生家のある金木という町に車を走らせて下さったのです。

青森
生家のすぐ傍にある芦野公園
不死鳥が輝く「太宰治文学碑」(阿部合成作)
 “選ばれてあることの
      恍惚と不安と
         二つわれにあり” と刻まれている

                青森
                 同公園の太宰治像(シルエット風に暗く撮影)
             向こうに13湖が見える(シジミが取れるので有名とか)

  青森
   公園近くの(旧)金木駅前のサイン
 
                青森
                  旧駅舎の「馬まん」販売ののサイン

そうです、馬饅頭が売られているのです。もちろん食べてみました。ちょっと黒っぽい肉で味は他の肉類とまったく変わりませんでした。

青森
 コトコトと走る津軽鉄道

                青森
                 冬には車内にダルマストーブが設置されます

青森

金木駅の近くにある太宰治が生まれた「斜陽館」は、宅地680坪、建坪394坪、部屋数19というとてつもなく大きな建物です

青森
                                
今は金木町が平成10年(1998年)に3億4000万円を掛けて復元修復工事をして「太宰治記念館」或いは「斜陽館」として一般に公開しています
                                                      青森

               青森

青森


ここ(金木駅)から青森に戻るには、五所川原(ごしょがわら)とう町まで津軽鉄道に乗って移動しました。(編集長には「斜陽館」の前で別れました)

今まで私は、「ねぶた」というのは青森市のみにあるお祭りかと思っていたのです。でもそれは間違いで、丁度いろいろな町にいろいろなお祭りがあって違った山車やお御輿があるのと同じで、それぞれの町にその町特有の「ねぶた」と「掛け声」があるのですね。

ここ五所川原では、独特の「立ねぷた」が見られ、その作成・保存のための館が町中にありました。
掛け声は「ヤッタマレ!、ヤッタマレ!」と言うのだそうで、お祭りではそう言いながら町中をねぷたが練り歩くのだそうです。

青森
大型の「立ねぷた」は20メートル!

青森
若い人たちがすでに来年のお祭りのために制作を始めています。2月ごろには下地のデザインが出来上がり、実際にワイヤーなどを組む作業に入るとのこと
  
              青森
                毎年違う形の立ねぷたを作成するのです


                      。。。。。。続く

11月7日(日)記

さて翌日は早朝5時に起きて、津軽半島の突端にある龍飛岬に行く計画を立てました。

今旅を終えてこれを書いていると、「そこに行くには・・・」と簡単に説明できますが、こうした実に鄙びた場所に一人で行くのは並大抵のものではありませんでした。
(つまり普通は自分の車で行くか、団体用の観光バスで廻るのです)

でも私はローカル鉄道、ローカルバスなどを乗り継いで行くわけですし、そうした乗り物は1日に何本かしか走っていないのです。
ですから一本逃したら、もう延々と次のバスや電車を待たなければなりません。

しかし日本の主要駅にある案内はきちんとしていて親切です。そうした案内所でしっかりと計画を立て今回もそこここを廻ったのですが、その「一本逃がす」を実体験したのが龍飛岬への旅でした。

朝5時に起きて青森駅を6時に出発する電車に乗る筈が、目の前でそれを逃がしました。ちょっとモタモタしている間に1、2秒の差で逃がし時の悔しさ!地団駄を踏みました!

青森駅から龍飛岬まで行くには:
青森駅(電車)→蟹田駅(電車)→三厩駅(ローカルバス)→龍飛岬という道順です。

ところがこの失敗によって、蟹田という駅で待ち時間が4時間半ほど出来てしまったのですが、でもこれが思わぬ発見へと繋がりました。

                竜飛

                           竜飛
太宰治が言った “蟹田は風の町だね” の碑が駅にある


この田舎町にも昔太宰治が訪れており(小説『津軽』に載っている)、そのために文学碑や残した言葉を刻んだ碑があったりで、一人散策しながら“潰すはずの時間”が足りないくらいでした。

早朝だったにもかかわらず、町にある「観覧山」という小高い山の近くまでタクシーで出かけ、まず頂上から町が一望できる素敵な景色を楽しみました。

蟹田

ここは太宰治が、親友N君と花見に出かけたことが小説『津軽』に書かれているため記念文学碑が建っています


蟹田

町中には秋の日を浴びて漬物用の大根干しがそこここで見られました
               竜飛
         
またこの町(この地域一体を外ヶ浜という)には、太宰治愛好家が作る「外ヶ浜太宰会」というのがあって、中央公民館には、ここにしかない彼の写真など門外不出の貴重なものが展示されていました。

蟹田

ここでは館長の記田桂子さんの暖かい歓迎を受け、次に行く龍飛岬にある龍飛館の福士伸也主査をご紹介頂いたのです。

蟹田駅まで車でお送りいただき、またしても、とてもとてもローカル風情のある三厩駅に着いたのは12時半ころでした。

こんな小さな駅には、持っていた旅行鞄を保管できるロッカーなどはないのですが、そこは親切な駅長さんの計らいで龍飛岬から戻るまで預かってくださいました。
               竜飛                 嬉しくなるほど鄙びた三厩駅舎 

          ここにも12月4日の東京ー新青森の新幹線開通の広告が


さてここから龍飛岬までは主に右側に津軽海峡を見ながら、ローカルバスで行くのです。おお、運転手の腕が確かなことを何度心の中で祈ったことでしょう!

まず到着早々、先ほど蟹田の中央公民館館長からご紹介頂いた龍飛岬観光案内所龍飛館の副士主査にお会いしました。ここは昔太宰治や棟方志功が泊まったゆかりの宿(奥谷旅館)だったのです。

竜飛
友人N君と太宰治が泊まった旧奥谷旅館
“今夜はこの本州の北端の宿で、一つ飲み明かそうじゃないか”

(小説『津軽』より)


今この旧宿の道路側はブロック塀になっていますが、昔はそこまで海が迫っていたとのこと。

いまでも時にマグロ漁が、すぐそこで見られるとのこと。それほど自然と共存している場所なのです。


            
                竜飛
                 太宰治文学碑の前で。飛ばされそうな強風


その後青函トンネル記念館に車で送っていただきましたが、この記念館は「どうしても行きたい」場所だったので、終始感動しながらの見学でした。

青函トンネルはいまだに世界最長(53.85メートル)で、英仏を結ぶドーバー海峡(49.2メートル)もここからの技術が多いに役立ったとのことです。

竜飛

見学中は終始「人間ってこんなことまで出来ちゃうんだ!」という思いが一杯で、本当に感動的な体験でした。
幾つものパネルやスピーカーからの説明でトンネル完成に至るまでの過程をつぶさに見られます。

時期的、又時間的なせいか見学者は私一人。それでもガイドさんがちゃんと付き海面140メートルの別世界を体験しました。

次はこの龍飛岬の一番高いところまで行っての見学です。
ここにはあの演歌歌手、石川さゆりの有名な歌「津軽海峡冬景色」の歌碑、日本で唯一の階段国道339号、龍飛岬灯台があります。

竜飛

                竜飛                     竜飛
日本で唯一の「階段国道」とか

帰りは、またこのローカルバスに乗って三厩→蟹田まで戻り、そこから青函トンネル線に乗り継いで北海道の函館に向かいました。


                    。。。。。。。。。。。。。続く


11月13日(土)記

さてこれからは北海道!
その玄関口の函館。北海道はおろか、函館も今まで一度も訪れたことのない場所でしたが、ここは私の生まれ故郷の横浜と通じる感のある「開かれた港町」という印象を持っていました。

その思いは3日間の滞在の間裏切られはしなかったのですが、横浜よりずっとコンパクトなため観光しやすく、横浜のように隣接の大都会・東京のざわめき等が流れ込まず、「北の街」という風情がそこかしこに感じられ旅情を誘います。

函館の旅

私は滞在する3日間をフルに使って、隅から隅まで廻りたいと計画しました。駅前の案内所には、他の何処の街でも見られるように、こちらの質問に的確に答えてくれる人員が揃っており、親切に相談にのってくれます。

まずこの駅前には、有名な「函館朝市」があります。迂闊にも私はここを田舎に見られるいわゆる「朝市」かと勘違いしていました。

つまり、新鮮な野菜などを近隣の農家の人たちが運び込んでの青空市場なのではないかと勝手に思っていたのですが、運び込まれるのは新鮮な海産物で、その規模の大きさにまず驚きました。


函館の旅

                函館の旅

また気軽に食べられるレストランや食堂風なもの、お土産物屋さんが所狭しと軒を並べています


函館の旅
日干しのスルメ


                函館の旅
                目前で炭焼きのホタテが焼かれ食べられる


函館の旅
エビ、うに、イクラ、たこ、イカなどなど・・・・
加えて函館ラーメンも・・・・

この街を効率よく廻るために私は函館駅前を中心に幾つかに分けて見て廻りました。

駅から見て:
\沼Δ砲覆覦杞饐霆鎔遒譴觚議を中心にした地域:
カトリック元町教会、ハリストス正教会(ロシア正教)、聖ヨハネス教会、東本願寺函館別院、旧イギリス領事館、旧函館区公会堂、少し街から離れるのですが、外国人墓地、
函館旅行
カトリック元町教会

                函館旅行
                      ハリストス正教会

函館旅行
聖ヨハネ教会
宗派の違う教会が小さな区画に集まっている不思議
                                     函館の旅
旧函館区公会堂
昔の異国情緒を味わうためにこんな衣装を借りて写真を撮ることも可能

                函館の旅
                同じ建物内には大正天皇が行幸された際に
                使われたトイレも公開されている。
                  
眞にビロウな話しながら、用が済むと検査するためトイレは特別な仕組みになっていたとか・・・・。
「ああ、平民で良かった!」と思いスナップを一枚!(爆笑)

函館の旅
建物の中には当時の部屋が見学できるようになっている

          函館は小さくて可愛らしいブロンズ像の実に多い街である
 

 

                函館の旅

 函館の旅

                      函館の旅

外国人墓地 
(ここにはペルーと共に来日した乗り組員2人が亡くなり葬られている)
               函館の旅
                         外国人墓地

函館の旅
   同じ地域に中国人の墓地もある
                                                                
              函館の旅                   在日ロシア人墓地

函館駅から見て西南方面

  函館は石川啄木と深く係わりのある街なのです。
            
               函館の旅

函館の旅
立待岬の途中の啄木の墓                            
                
                函館の旅
                      墓碑に刻まれている歌

函館の旅
  お墓からの一望の景色


                      函館の旅
                       墓碑から更に進むと立待岬に出る
        魚が沖に来るのを立って待ったことから付いた名前とのこと

函館の旅
 イカが名物なだけあって公園の柵にも

Hヾ霸悗ら南東方面
函館の旅   
トラピスチヌ修道院の入り口のミカエラ像(男性のみのトラピスト修道院は更に離れた場所にある)


フランスのノルマンディー地方にあるモン・サン・ミッシェルで見たと同じ聖人像をここで見たことに感激した。これは私の母の洗礼名で、母の墓碑には同じ名前が刻まれている

                函館の旅
                 静寂に包まれた庭

                 限られたエリアのみ見学が可能

                  


修道院と同じ方角に今TVで人気絶頂の坂本龍馬の五稜郭がある
函館の旅
                        
                函館の旅
                   跡地の中の紅葉は真っ盛り

とヾ曚僕茲得こ三代夜景を見逃す分けには行かない
函館の旅
訪れた時は年一回のロープウェーの点検のため2週間の休業
しかし運良く函館滞在最後の夜に再開し頂上に登ることが出来た

               函館の旅
               本物は「すごい!」の一言

函館の旅
NHKでやっているシリーズもので「セカンド・バージン」という長編ドラマが今大人気。それにこのスーパー北斗という乗り物が出てくるとかで、ちょっとした話題に・・・。

函館から東京(横浜)までは、函館→八戸(東北新幹線)→東京と7時間余り。
沢山の思い出を残し、私の青森・函館の旅は終わりました。

              


秋の富士山を楽しみました

10月23日(土)

10月半ばから、日本の秋の日々を楽しんでいます。

公私にわたる訪日です。ちょっとお天気に恵まれなかった日々があったものの、今日などは秋晴れの爽やかな週末です。

日本(柿)

日本の秋の象徴である柿もそこここでたわわに実っているのが見られます。

以下は、先日親戚の者が富士5合目までドライブに連れて行ってくれたときの写真です。

この日も秋晴れだったのですが、大して観光客はいなかったことで、賑やか過ぎることもなく素敵な思い出が出来ました。

日本(富士山)

富士山は、5合目に到着した時には雲に厚く覆われていて「せっかく来たのに残念!」と思ったのですが、山歩きをして駐車場に戻った時、パッと雲が晴れてほんの2,3分こんな頂上の姿を見せてくれました。

あの有名な富士山の形ではなかったので、「えっ?!」と思ったのです。
それもその筈。すでに5合目にいるのですから、裾野からのあの姿を見ることは出来ません。

今年はキノコが当たり年とか。ここまで登って来て「キノコ狩り」に行く登山者が沢山いて、その収穫を目の辺りにして驚きました。

                   日本(きのこ)
上の写真はほんの少しの収穫ですが、ものすごい量を取った人の籠も見せてもらいました。

もちろん毒キノコには注意しなければなりません。
そこでこの5合目にあるお茶屋さんの主であるおばあちゃんが、皆が収穫したものを手際よく選別してくれます。
必ずしも色の鮮やかなものは「毒」とは限らないようです。

日本(椎茸・おばあさん)  
キノコ狩りの人々は朝5時ごろから来て、山奥に分け入るようです。

                     日本(椎茸籠)
手作りのキノコ狩り用の特別な籠も売っています。

日本(こけもも)
秋には「こけもも」も収穫できるとのこと。

日本(鹿)
下山の途中では、こんな鹿の親子も見かけました。

帰りにはあの有名な「ススキが原」にも廻ってくれたのですが、もうすでに夕刻が迫りはっきりと見渡せなかったのが残念でした。
(日本はこの時期5時頃にはすっかり暗くなるのですが、その代わり朝6時半ごろには明るいのです。トロントとは真反対なのですね)

そう、そんな薄暗い中でしたが、それだけに返って幻想的ではありました。本当に見渡す限り一面がススキで覆われています。

                  日本(ススキの) 


穏やかな日本の秋の風景を満喫した一日でした。





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